ふるさとが焼かれた日、都会の議員に書いた手紙。 | 有川ひろと覚しき人の『読書は未来だ!』

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前にも同じ名前で献金させていただきました。
今回が最後の献金になります。

私は高知県出身の人間です。
高知県土佐市のカフェの件について、あなたが議員というお立場で「都会vs田舎(田舎は悪)」という論調に乗ったことを大変残念に思っています。

まず前提として、私はカフェの味方でも地権者の味方でもありません。
ですが、せっかく高知に来てくれたカフェの方がソフトランディングしてくれることを願います。
ソフトランディングはどちらかがどちらかを叩き潰すことでは実現しません。
その上で以下の文章を綴ります。

私は高知県から関西に移り住んだ人間です。
都会にも田舎にも等しく「老害」や「問題者」がいました。
そしてそれにまつわる物事は、同じ地域に住んでいても全く知らないことさえありました。
私は現在住んでいる宝塚市の問題を全て把握することなどとてもできません。
ネットで片側から出された情報では決して事実は分からないのです。

都会も田舎も等しく「老害」に苦労しているはずです。
それなのにどうして「お互い老害には苦労するよね」「何とか解決するための知恵を出し合おう」という流れになれなかったのでしょうか?
「田舎はどこもこうなんですか?」とあまりにも巨大な主語で拡散依頼をしたカフェ側にも落ち度はあるでしょう。
しかし一番罪深いのは、カフェにも地元にも何の責任も持たずに煽り立てる外野だと思います。

現在、土佐市にも高知にも大変なヘイトが集まり、無関係なところにまで「くたばれ」などと罵る「電凸」が発生しています。
できるだけ公平性を保って意見を発信したつもりですが、私のところにも「そこに住んでる奴はみんな同罪」というような突撃が来ました。
ネットニュースに取り上げられ、高知新聞にも乗り、カフェが「今は」望んでいる炎上が果たされました。
しかし、そこからは?
ネットで炎上に加担し、心ない電凸をした人々は、実際に高知に足を運んで問題が解決するまでカフェを支えてくれるでしょうか?
そうではない人がほとんどでしょう。
カフェの人は「そこに住んでいる」のです。
「敵」も「味方」も「第三者」も住んでいるその土地に。
日々の交流や渉外はその土地にいる限り常に発生し続けます。「敵」との渉外ももちろん。
圧倒的多数を占める「第三者」は、揉め事を見て「どちらがいいか悪いか」ではなく、「揉め事自体に関わらないでおこう」と判断するケースが多いでしょう。それは田舎も都会も関係ない自然な人間の心理です。
また、地元が悪し様に罵られる様子でカフェにも忌避感を抱く人が出るでしょう。
「敵」と「味方」だけが遠巻きにされたその真空地帯にカフェは取り残されるのです。
そんな中、揺るぎなくカフェの味方で居続けてくれる「地元の」「生身の」人間は、一体どれくらいいるでしょう?
土地の付き合いやしがらみで味方できなくなる人も出てくるかもしれません。

炎上を「手助け」した人々は、当事者の「日々の現実」を助けてはくれません。

そのことをネットに長けたあなたはよくご存知のはずです。
どんな地域にも等しく「いい人」も「嫌な人」もいて、日々さまざまな問題は発生し続けていくということも。
そして、正論で叩き潰したところで敵対者が消えてなくなることはなく、新たな恨みつらみのしがらみが発生することを避けようがないということも。
都会だから田舎だからの問題でなく、どんな地域にも個人と個人のトラブルしか起こらない。
あなたの区がそうであるように。
揉め事は何とか落としどころを見つけるしかないのです。
カフェによくしてくれた人もいるでしょう、応援していた人もいるでしょう。
それなのにどうしてカフェを「都会vs田舎」の代理戦争の矢面に押し上げたのでしょう?
そうしてしまえばカフェにとって好ましい人々も「田舎」の箱に押し込められてしまうのに。

私はそれが悲しくてなりません。
地域おこしに苛立ちを感じていたのなら、それは頭に血が昇って炎上を仕掛けてしまった一個人に乗っかるのではなく、あなたがあなたの責任において別途発信するべきです。
どうして冷静な状態とは思えない、トラブルで疲弊している一個人にあなたの主張を仮託されましたか?
あなたはこれが「高知県」「土佐市」でなく、どこかよその地域でもこのように薪をくべられるのでしょう。
高知は、土佐市は、今回「たまたま」あなたの目に入った。
そしてそこで生きている生身の人は(カフェの人も含めて)目に入らなかったのでしょう。
そしてあなたは1週間も経てば終わった炎上として忘れるのでしょう。
炎上で傷を受けた土地のことを思い浮かべることもないのでしょう。
その土地に残されたカフェの人のことも。
正論で相手を叩き潰したとて、カフェはその地に残るにしても去るにしても、その土地での様々な手続きが残っているのです。
炎上は特に「敵」との手続きを困難にするでしょう。
それを当事者が望んだのだとは仰らないでください。困難の前に視野狭窄して最善でない道を選んでしまうのはどんな人も同じです。

私はあなたの活動を応援していました。
その活動分野における尽力が今回炎上に薪をくべたことで失われるとは思いません。
炎上を煽った過ちと日頃の功績は分けて考えられるべきだからです。
それは、カフェも、地権者も、地元の人々も、高知をふるさとにする人々も、炎上に加担した人々も、全て同じです。
一つの過ち、一つの属性に全てを紐付けするのではなく、一つ一つを解釈し、評価するべきです。
一度過ちを犯したからと永遠の罪人のようにレッテルを貼られる風潮を私は忌避しています。

ですから、今までのあなたの功績に対して、感謝の気持ちを込めてささやかながら献金をさせていただきます。
ですが、あなたが故郷を焼くのに加担したという事実を忘れることはできないので、これが最後の献金になります。
だからと言ってあなたの活動を妨害したり、困難を願うこともありません。
ああ、活動しておられるなと、頑張っておられるなと、そう思うのみにとどめます。

こんな文章を送ってくる者からの献金などごめんだと拒否されるのももちろんご自由です。
私は献金を受け入れて頂けるかどうかのジャッジを待ちましょう。

私は人を属性のタグで括ることをできるだけしたくないと思っています。
だからあなたを「地元を燃やした都会の人」というタグで括ることもしたくありません。評価されるべきあなたの功績は、私の故郷を棄損されたからといって棄損すべきではないからです。
私はあなたの活動を棄損しないことを以て、高知県人の矜持としたいと思います。

この文章を、後ほど自分のblogに公開したいと思います。
それはもはや無差別に焼かれるふるさとのために、せめて私がそうしたいのです。
私は炎上で無差別に焼かれる人を少しでも減らしたいのです。
高知だけでなく、全ての地域や人に対してそう思います。
炎上に薪をくべた人に一人一人便りを出すことはできませんので、あなたに「炎上に加担した人々」を仮託させてください。
あなたが「都会vs田舎」の戦争を高知のカフェに仮託したように。
私があなたの名前と選挙区を出さないようにこの文章を綴ったことに、あなたを貶めたくはないという思いを汲んで頂ければ幸いです。

私の筆名は有川ひろと申します。

 

 

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