本日も、ブログを覗きにきてくださり、ありがとうございます。
昨日は、なぜ私の日本人のおじいちゃんが、インドネシアに来たのか、という話をさせていただきました。
今日は、その続きで、なぜ、インドネシアに64歳の亡くなる年まで、居続けたのか、という話をさせていただきます。
「あなたのおじいちゃんの話を聞いてどういう良いことがあるの?」って聞こえてきそうですが、
まあまあ、ここまで読んでくださっているので、最後までお付き合いください、笑。
きっと、あなたの世界観がすこーしだけでも広がるような話になると思うので😆。
そう、戦争中にインドネシアに来たおじいちゃんは、私のインドネシア人のおばあちゃんに出会ったんですね。
これも、どこまで本当かどこまで嘘か実際は分かりませんが🤣、
おじいちゃんは、その時怪我をしてしまったみたいで、
そこで、おばあちゃんは、PMIと言って、いわゆる看護師みたいな役割をその当時していたんですね。
その時、おばあちゃんは、おじいちゃんの怪我のお手当をしてあげていたわけなんです。
そこで、おじいちゃんは、おばあちゃんに恋をしたんだとか、、、
(わおーー!なんてロマンチック💕!!って思いましたか?笑。私は思いました。なのでどこまで本当か、、、ま、それはどっちでも良いとして!)
そこから、おじいちゃんは、おばあちゃんと結婚することになり、父が長男として生まれたんですね。そのあと、全部で8人、子供が生まれたそうですが、その中の2人が、小さい頃に亡くなってしまったそうです。なので父は6人兄弟です☺️。
おじいちゃんは、実家の田原では、お父さん(私のひいじいちゃん)が再婚して、新しい家族ができて、居場所があまりないと感じていた背景があったんですが、
もう、日本に帰るのをやめて、これを機に、おばあちゃんと一緒になって、インドネシアに骨を埋めることになったんです。
名前も、日本名を現地のインドネシアの名前に変えて、です。
何千人?か、インドネシアから、日本に戻った兵隊さんも居たと思いますが、「インドネシアに残る」と選択した兵隊さんもその当時たくさん居たんですね。
私が生まれて、記憶がある時には、十数人の方がまだご健在で、最後の一人は、確か、私が高校生か大学生くらいの時に80代くらいでお亡くなりになったとか。
そんな背景もあり、父も母も、日系インドネシア人の集まりのボランティアなどに結構精力的に関わっていた記憶があります。
父も母も、そんな事実を知っていたので、日本人にとても誇りを持っていたように記憶しています。
そんな話を、私は、何度も何度も何度も、父から聞く機会があったんですね。
「これだけは、君(たち)に、絶対伝えておかないといけない」と、何度も何度も父が熱く語っていたんですね。
それもあって、こんなに覚えているんだと思います、私。(部分的にうろ覚えになってると思いますが)
いやあ、ここまで、お読みくださり、本当にありがとうございます。
きっと、あなたの心の中にも、「日本人って素晴らしい」って思えたのではないかなと思います。
では、明日は、父と母の出会いについて、お話ししていきますね💕
馴れ初めの話が大好きな私!笑。カップルに出会うと、必ずと言って良いくらい、気になってしまう、「出会い」「馴れ初め」💕
ではでは、明日もお楽しみにしてくださいね〜💕 (これまた笑いのある話です😆)
世界は広い!
けど世界は狭い!
あなたと私、同じ地球にいる💕🌏ので
世界は一つ!
今日も良い1日を💕