返事はいらない | 千野のヒトリゴト

千野のヒトリゴト

アバランチのボーカルが何かブツブツ言ってるだけのやつ

宮部みゆきの小説で「返事はいらない」という短編集があった

もうはっきりと内容は覚えてはいないんだけれど、どこか温かい気持ちになる読みやすいミステリーで、おもしれー!とか、興奮した!とかではなく、「ああ〜…、良い」っていう読後感だったことを覚えている

"返事はいらない" に込められた優しさとか、諦めとか、躊躇いみたいなものが

とても人間らしくて好きだった

 

宮本輝の「錦繍」という作品はここ数年で読んだ本の中で一番素晴らしかった(知るのが遅かった)

物語は全て手紙で進んでいく

こっちも最初の手紙は返事はいらないスタンスで書かれたものだった

そこからいらなかったはずの返事とそれに対する更なる返事、手紙だけで進んでいくストーリーが心地良くて

1982年に発行された作品だけど、簡単にメッセージを送り合えてしまう今の時代だからこそ響くものがあった

 

 

思えばアバランチを通して俺が書いてる曲達、歌詞は

自分に対して、返事はいらないって気持ちで書いてたとも言えなくないなーなんて

 

相談部屋の方には「返事はいらない」パターンで、ただ聞いて欲しいということで送ってくれているものもあります。これはそういう「ただ聞いてほしい」っていう選択肢を用意したからそれを選んでくれているんだけど

これがあったから書いてくれた言葉もあったのかと思うと、やってよかったなって早くも思ってしまう

 

昔からなぜかそういう性質で、意図していたわけじゃないんだけど

みんな俺のそばにくるときはくたびれてる時で、大丈夫になったら去っていくんです

だから俺は自分のことを「休憩所」みたいなやつだなって思ってて

"帰るべき家"にもなれなければ、"ついて行きたい憧れ"にもなれない

 

ちょっと足を休めて、立ち止まって、振り返ったり先を見据えたりして、気持ちが落ち着いたらさよならがくる

不思議と寂しくはならない

みんな去るときは少し前(その人にとっての前)を向いて歩いていくから

 

これは今も変わらない

ずっと休憩所

 

それが俺だから、疲れたらまたここに来てくれたらいいんだよね

「いつだってここにいるよ」

 

でも普通みんな大丈夫になったら、少し前を向けたら、もう先に進んでしまうから同じ休憩所には戻ってこないんだよね

だから二度と会わなくなる

それもわかってるから、最初からさよならを想定してるし引き留めもしない

 

それでも前までと少し違うのは、その去っていった人たちと「また会いたいな」って思えるようになったこと

それも、「休憩所ではないどこか別の場所」で

 

俺は俺で「休憩所」でもあり(これはきっと変われない)、「どこか別の場所(できれば目的地)」にもなれるハイブリッド人間になりたいなーなんて、今は思う

欲張りかもしれないけど

 

その為には、出せる返事はちゃんとしていかなきゃいけないかな、なんて今日は思ったよ

 

相談部屋に相談を送ってくれた人のところへライブしに行きたいなって思った

優しさとか、諦めとか、躊躇いみたいなものも全部引き連れて

いらなかったはずの返事も引き連れて

 

ライブで一緒に歌えることがやっぱり一番の手紙だと思うから

 

うん。

\ふざけんなコロナ/

 

ああーー。相談フォームに [お住まいの地域] って欄作っとけばよかったかな?

匿名性が薄れるか、、

 

 

今のところこの相談部屋の活動

もとい

 

1対1

 

続けたいなって思ってます

ライブでもそうだったけど、今はライブができない分

この1対1は大切に、できるだけたくさんやっていこうと思う(需要があれば)

 

何の話だよって人はこれを見てね

https://www.avalanche-official.com/sodan

 

じゃあ、またね