「判検交流」を有効活用せよ | 自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

今回書くことはもしかしたらタブーに触れる、

あるいは物議をかもす内容かもしれません。

 

ただ情報強者内輪の知る人ぞ知る特権にし、

どうしていいか苦しむ遺族に内緒にするのは、

正義にもとると考え、今回敢えて書きます。

 

裁判官は、超然として一段高い場所から、

検事と弁護人のやり取りを見て判断する。

法廷外での関係者への接触は禁欲的に慎む。

そんな超然主義な印象があります。

 

しかし実は検事と裁判官は法廷外でも会い、

抱えている公判について意見交換します。

 

タイトルに「判検交流」と書きましたが、

これは厳密には正確ではないようです。

 

この言い方は、昔ながらの左派の面々より、

「検察と裁判所はグルだ」

みたいな批判に使われた経緯もあるのですが、

他に良い表現がないので暫定的に使います。

 

私の刑事裁判打ち合わせ時も、検事がポロっと、

「今回の裁判官は話しているとまともに感じる」

「ただこの件はまだ具体的な話は聞けていない」

と漏らしたことがあって、

「あ、法廷以外でもやり取りしているんだ」

と意外に思ったことを鮮明に憶えています。

 

このルートですが、実は遺族にとっては、

強力な直訴手段にできる場合があります。

特に緊急時に万事休すを覆せる場合があります。

 

以前あいの会ブログにある遺族の闘い方を載せ、

伏せてほしいと言われて即消した話があります。

 

なので今回もかなりぼかして書きますが、

求刑がとんでもなく軽くされそうだと知り、

急ぎ検察庁に行くと、お約束の「不在」対応。

しかしそこで決してあきらめずに、

「今この建物にいる一番の責任者に話をしたい」

「会えるまでいつまでも、朝までも待っている」

と詰め寄り、最終的に、

「記述を固めたので今から求刑は変えられない」

「しかし担当裁判官と直接話した」

「執行猶予判決が出たら必ず控訴すると伝えた」

「実刑判決を出してもらえる感触はある」

「もし執行猶予判決だったら必ず控訴します」

という話を得るまで闘った例があります。

(あくまで概要です。もっと具体的に書きたい)

 

そしてこの事件では実刑判決を勝ち取りました。

 

何もしなければ、まず執行猶予だったでしょう。

 

この遺族は、その行動力、勘の鋭さ、頭の切れ、

堂々とした度胸、ゆるぎない覚悟・・・

どれを取っても凡人の真似のできるレベルでなく、

尊敬することしかできないような方です。

奪われた我が子への親の思いにも心打たれました。

凡人ではない人の闘い方です。でも知ることで、

凡人でもなぞることのできる何かはあるはずです。

 

本当はもっと細かく書きたいのですが、

遺族の意向を無視して書くわけにはいきません。

しかしここで書いた抽象的な断片からでも、

「こんな闘い方もできるんだ」

という何らかの知見を得ることはできるはず。

 

ただ法廷に座って、言われた時だけ立ち上がり、

その時に発言をするだけでない闘い方もある。

 

執行猶予前提のこの国の司法の中において、

命を奪われた家族の尊厳を守るためには、

お行儀悪く、あらゆる選択肢を追及し尽くす。

 

今回書いた選択肢もあると知っていれば、

必要な時にその選択肢を使うことができます。

(知らない選択肢は使うことすらできない)

 

遺族の方には使える選択肢はすべて使い切り、

悔いのない闘いをしてほしいと願っています。