今回書くことはもしかしたらタブーに触れる、
あるいは物議をかもす内容かもしれません。
ただ情報強者内輪の知る人ぞ知る特権にし、
どうしていいか苦しむ遺族に内緒にするのは、
正義にもとると考え、今回敢えて書きます。
裁判官は、超然として一段高い場所から、
検事と弁護人のやり取りを見て判断する。
法廷外での関係者への接触は禁欲的に慎む。
そんな超然主義な印象があります。
しかし実は検事と裁判官は法廷外でも会い、
抱えている公判について意見交換します。
タイトルに「判検交流」と書きましたが、
これは厳密には正確ではないようです。
この言い方は、昔ながらの左派の面々より、
「検察と裁判所はグルだ」
みたいな批判に使われた経緯もあるのですが、
他に良い表現がないので暫定的に使います。
私の刑事裁判打ち合わせ時も、検事がポロっと、
「今回の裁判官は話しているとまともに感じる」
「ただこの件はまだ具体的な話は聞けていない」
と漏らしたことがあって、
「あ、法廷以外でもやり取りしているんだ」
と意外に思ったことを鮮明に憶えています。
このルートですが、実は遺族にとっては、
強力な直訴手段にできる場合があります。
特に緊急時に万事休すを覆せる場合があります。
以前あいの会ブログにある遺族の闘い方を載せ、
伏せてほしいと言われて即消した話があります。
なので今回もかなりぼかして書きますが、
求刑がとんでもなく軽くされそうだと知り、
急ぎ検察庁に行くと、お約束の「不在」対応。
しかしそこで決してあきらめずに、
「今この建物にいる一番の責任者に話をしたい」
「会えるまでいつまでも、朝までも待っている」
と詰め寄り、最終的に、
「記述を固めたので今から求刑は変えられない」
「しかし担当裁判官と直接話した」
「執行猶予判決が出たら必ず控訴すると伝えた」
「実刑判決を出してもらえる感触はある」
「もし執行猶予判決だったら必ず控訴します」
という話を得るまで闘った例があります。
(あくまで概要です。もっと具体的に書きたい)
そしてこの事件では実刑判決を勝ち取りました。
何もしなければ、まず執行猶予だったでしょう。
この遺族は、その行動力、勘の鋭さ、頭の切れ、
堂々とした度胸、ゆるぎない覚悟・・・
どれを取っても凡人の真似のできるレベルでなく、
尊敬することしかできないような方です。
奪われた我が子への親の思いにも心打たれました。
凡人ではない人の闘い方です。でも知ることで、
凡人でもなぞることのできる何かはあるはずです。
本当はもっと細かく書きたいのですが、
遺族の意向を無視して書くわけにはいきません。
しかしここで書いた抽象的な断片からでも、
「こんな闘い方もできるんだ」
という何らかの知見を得ることはできるはず。
ただ法廷に座って、言われた時だけ立ち上がり、
その時に発言をするだけでない闘い方もある。
執行猶予前提のこの国の司法の中において、
命を奪われた家族の尊厳を守るためには、
お行儀悪く、あらゆる選択肢を追及し尽くす。
今回書いた選択肢もあると知っていれば、
必要な時にその選択肢を使うことができます。
(知らない選択肢は使うことすらできない)
遺族の方には使える選択肢はすべて使い切り、
悔いのない闘いをしてほしいと願っています。