暴けたはずの加害者陳述の虚偽 | 自転車に家族を殺されるということ

自転車に家族を殺されるということ

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2014年1月28日に判決が出て裁判は終わりましたが、私の交通犯罪遺族活動は続いています。

前々回、検事の対応を振り返ると、

「穴」があったと書きました。

 

 

今回はどんな穴だったか細かく書きます。

 

穴は2つありました。

 

まず一つめがこの写真に関してです。

 

 

これは刑事裁判終了後、民事裁判になって、

弁護士が取り寄せてくれてから、

初めて目にした加害者側の答弁書の一部です。

 

「サイクリング自転車は下を向いて走るから

 前の信号が見えなくても仕方がない」

 

これが刑事裁判の加害者主張のメインでした。

 

この写真は加害者に自転車に乗せて、

「普通に比べてこれだけ前傾姿勢なんですよ」

と主張したいために出してきたものでした。

 

注目はマンション廊下で撮っただろう写真。

その左端に写っている日経新聞です。

 

「この日に撮りました」

という証拠として写したのでしょうが、

ここに写っている10月17日という日付。

 

 

一目見て、ここにピンときました。

 

当時加害者宅はある神社のすぐ近くでした。

 

加害者は、その神社で母の冥福を祈るため

毎日手を合わせていると主張していました。

 

神社と寺の区別もつかない宗教オンチでも、

神社が死者の冥福を祈る場でないくらい

なんとなくわかろうものですが、

裁判所はそんな教養は求められない場です。

 

そしてその年の10月17日という日付。

その神社のお祭りの日、しかも日曜でした。

 

検事からこの答弁書を見せられていたら、

私から直接被告人質問をした際に、

きっとこんなやり取りができたはずです。

 

「被告人の言っている神社は〇〇神社ですか」

「はい」

「被告人は日々通っていると言いましたね」

「はい」

「この写真は新聞日付の10月17日ですか」

「はい」

「この写真を撮った日も通ったのですか」

「はい」

「この写真を撮った後ですか?前ですか?」

「〇〇です」

「何時くらいでしたか」

「〇〇時くらいです」

「静かな空間で母の冥福を祈ったのですか」

「はい」

「この日はこの神社のお祭りの日でしたよね」

「えっ・・・」

「〇〇時だったらもうにぎやかでしたよね」

「えっと・・・」

「いま静かな空間で祈ったと答えましたよね」

「・・・」

「つまり嘘をついていたということですね」

「・・・」

「(裁判官に)私の被告人質問を終わります」

 

もちろん不確定要素はあります。

 

もし本当に神社に通っていたとしたら、

または写真の日がお祭りの日だと思い出し、

こちらの質問の意図を察して、

「お祭りの日だったので静かではなかった」

と答えたとしたら、

被告人質問は空振りになっていたでしょう。

 

しかしおそらく加害者は嘘をついていたし、

写真を見ていたらきっとこの追及はできた。

 

私自身、ピンとこなかった可能性もあります。

しかし私が神社仏閣に詳しかった偶然に加え、

近くである地域感覚と、遺族としての嗅覚は、

直観にピンとこさせていたと思います。

 

しかし検事は「そのうち見せます」

と言ったきりでそのまま結審してしまい、

加害者の嘘を暴いて立ち往生させる機会は

永遠に奪われたままになってしまいました。

 

検事も悪意はなく、忘れていたのでしょう。

しかし致命的な失点であることは事実です。

 

もう一つの穴は加害者の高校同窓会情報。

 

これも結審後に知ったのですが、

加害者は慶應志木高の同窓会幹事でした。

 

加害者名でネット検索していくと、

やがて「慶應志木会会報」が出てきます。

 

普通に高校に通い、卒業した方であれば、

誰でも容易に想像できると思いますが、

大抵は同窓会幹事=その学年のボスです。

 

検事は執行猶予判決後の言い訳の一つに、

「まともに謝罪していないことについても、
 裁判官は被告人が口下手で無口だと判断して、

 謝意はあると判断したのだろう」

ということを言っていました。

 

しかしそんな者が同窓会幹事になるはずない。

 

この事実を知ってさえいれば、

 

・加害者は高校の同窓会幹事をしている

・通常それは学年のリーダー的人物が担う

・加害者も、コミュニケーション能力や

 行動力は人並み以上であることは確実

・にも関わらず遺族への謝罪は怠っている

・よって加害者に謝意のないことは明白で

 法廷での振る舞いは執行猶予目的の

 パフォーマンスであることの証拠となる

 

という裏付けありの論証ができたはずです。

 

しかし検事はそんな事実も知らなかった。

 

もちろん、ネット検索さえしつこくすれば、

(ググってもトップには出てこない情報ゆえ)

そんな重要情報に行きつけるかもしれないと

考えもできなかった私の情弱ぶりもあります。

しかし遺族は精神的にいっぱいいっぱいです。

裁判中にネット検索の余裕なんかありません。

やはり検事なら、加害者の最低限の来歴は

ちゃんと調べておいてほしかったと考えます。

 

どちらも検事に悪意はないのはわかっています。

ただ100点には程遠い仕事しかしていなかった。

 

資料を私に見せて意見を求めてくれていれば、

加害者来歴を一通り洗ってさえくれていれば、

流れはかなり変わっていたはずです。

 

もちろん「あの」裁判官です。

 

 

 

「1名死亡は執行猶予」判例に機械的に従い、

無理やりでも執行猶予を付けていたでしょう。

 

しかし、

・謝意を示している

・うまく伝えられなくても性格上やむなし

という判決は決して書けなかったはずです。

 

 

まだ闘っている最中の遺族の方が

偶然このブログを目にしてくれたとき、

私のような後悔は決してしてほしくなくて、

踏まない轍の事例として今回も書きました。

 

最後に今回からは外れた余談になりますが、

私のブログを読んで、あいの会を知り、

小沢や弁護士とつながって実刑を勝ち取り、

今も会員になっている遺族の方がいます。

 

当時はただ毒を吐いているだけでしたが、

その話を聞いたとき、書き続けたことで、

そんな役に立てたことを嬉しく思いました。

 

最近、頑張ってこうしてアップしている

私の踏むべきでない轍の事例シリーズも

誰かの役に立てればと思って書いています。