131日目〜136日目 21カ国目 トルクメニスタン | ユーラシア大陸自転車横断記 2015〜2016

ユーラシア大陸自転車横断記 2015〜2016

社会科教員を目指している大学生です、自転車でポルトガルから東京にある大学まで帰ります!

過去の記事が溜まっているため、とりあえずダイジェスト版でアップしたいと思います。

------------------------------------------------

{49C0EADE-0617-4B5F-B4D5-547A47936454:01}

「中央アジアの北朝鮮」、トルクメニスタン

その名の通り、中央アジアの独裁国家国家として有名なトルクメニスタン。


滞在ビザの取得も難しく、僕のこのVISAを取得するために、イランで大使館に四回も足を運んだ(三回も突っぱねられた)。



結局ビザは手に入れられたものの、許された滞在期間はわずか五日。その日数以内に国を出ないと、抑留されて500ドル(約6万円)の罰金を取られた上に、国外に永久追放。


イランで足を痛めた上に、厳しいタイムリミットの制約がかかる中でのスタート。



{6B0FCC0A-952B-4EF4-B3FE-DD9853A7790F:01}


道、まわりにほぼ何もありません。




{B84BCD4C-A0CF-43EF-A5D5-196BF3800878:01}

{CCA4EDCD-7682-4E76-87E3-F428384AAD45:01}

国境から最初の町を通ると、色々な人に声をかけられました。


しかし、ここトルクメニスタン、ほぼ英語が通じません。


日本人も英語できないじゃん、とか思うかもしれませんが、トルクメニスタンでは、ワン、トゥー、スリー、とか数字すらも通じない時ありました。


トルクメニスタンは旧ソ連の国で、ロシア語圏の一つなのですが、後に通った、ウズベキスタン、カザフスタンなどでもこのような英語が全く通じない状況が続きました。正直きつかったです。



{63772446-44AE-4BBC-982F-373760C6E8D9:01}


トルクメニスタンは国土の70%が砂漠なのです。

イランでも砂漠を走りました。
砂漠でつらいのは気温も当たり前ですが、空気が極端に乾燥していることもつらいです。

どれくらい乾燥しているかというと、39℃くらいの気温下で冷たい缶ジュースなどを買っても全く水滴が周りにつきません、結露しません。


ただでさえ暑くて飲料を消費してしまうのに、乾燥しているので少しでも口を開けたりして呼吸すると、口がカラッカラになり、水をがぶ飲みしてしまいます。


そして、砂漠地帯なので飲料を補給できるような店は120km間隔ぐらいしかない。


従って、その水分の補給区間で立ち往生してしまうことは死を意味してしまいますが、僕は走っている途中、足が痛み進めなくなり、しかもそこに砂嵐が直撃するという、笑えない事態に陥りました(笑)




↓以下、その時の詳しい状況 






砂漠地帯の中を自転車で走り、時間は午後の3時を回った







イランで足を痛めてから10日間少し、さすがに治ったかなと思い、今日は自転車を漕ぎ出したが、途中、足に再び激痛が走り、砂漠の真ん中で動けなくなってしまった








とりあえず、休憩をして足の様子を見ようと思い、道端で横になる







ここは砂漠の真ん中の一本道、日陰は存在しない、容赦なく日差しが照りつける









30分ほど休み、また自転車に跨り、漕ぎ出そうとすると、痛みは全く消えていなかった






「これはやばいなぁ」






そう呟きながら、また道端に横になる





またしばらく休み、それで足の状態が良くならないなら、今日はこの場所にテントを張って一夜を明かすしかない、そう思い、目を閉じた






どのくらい時間が経ったのだろうか、目を覚ますと、ある変化に気づいた





風が強くなっている







起きあがろうとする、やはり右足が痛んだ






立ち上がり、辺りを見渡そうとすると、風が強くなっているせいか、巻き上がる砂塵で目がまともにあけられない






風は弱まるどころか、強くなる一方だ







これが砂嵐...







途中で会ったチャリダーの人にどんなものかは聞いていたが、まさか自分が遭遇することになるとは






時間は午後の5時、僕は吹き付ける突風の中、必死にテントを張り、中に避難した





テントの底に積もった砂を払いのけながら、とりあえず安堵のため息を漏らした






しかし、砂嵐から無事に避難できたものの、砂漠の真ん中で足を怪我をして動けない状況に変わりはなかった





地図をみると次の街まで70km、そして水筒の残りは、無かった




実は予想以上に水分を消費してしまったため、今朝までは5リットル程あった飲料はもう底を尽きていたのであった






ここから一番近い次の街まで70kmなので、明日の朝自転車に乗れれば行けそうだが、この足の症状をみるとかなり厳しそうだ





自転車を押していくにしても遠すぎる






また、ショートカットするために、国道から外れた道を通ってきたため、助けを求めるための車はほぼ通ってない(今日1日走って一台しか見かけなかった)



そして、そもそもこの砂嵐が止んでくれない限り、テントから出ることすらできない




水分取らなくても3日くらいは生きられることを思い出し、一瞬安心したが、ここは日中は炎天下の砂漠地帯、水分をとらないことは熱中症になるリスクを格段に引き上げる




以上のような様々な懸念を考えている過程で、ある疑問が頭をよぎる






「果たしてこの状況から、無事に抜け出すことができるのだろうか」













幸いこの旅は現在に至るまで、命に関わるような事態に陥ったことがなかった





どんな状況になっても「なんとかなるだろう」という精神で切り抜けてきたわけだが、今回はその危機管理能力の甘さが露呈する結果となってしまった





考えてみれば、足を痛めている中で、「なんとかなるだろう」と、砂漠を自転車で横断しようとしていた自分には、勇敢さというより無謀という言葉の方が似つかわしい





しかし、このような状態になった以上、後悔しても仕方ないので、とりあえず今後の方針を決める







まず、飲料水がない問題について




荷物をひっくり返し、カバンの奥底からイランでたくさんもらったチューインガムを見つけだした



これをひたすら噛み続ける
体の中の水分量はこれでは変化しないが、少なくとも口の中が乾燥して喉が乾くことを防ぐことができる



寝てしまって万が一口呼吸をしてしまうと、乾燥して水分が欲しくなってしまうため、夜は寝ないで朝まで起きていることにした(というか、砂嵐のせいで風が強すぎて寝るのも難しかった)




そして動くことができない問題について




砂嵐が止むことを願いつつも、この道を通る数少ない車にヒッチハイクを仕掛けることにする




1日待てば一台は通るはず、そのチャンスにかけることにした
車が止まってくれるかわからないし、炎天下の中、そこまで体力が水分無しで持つか保証はないが...




そして、その方針を決めてから次の日の朝まで、僕はひたすらガムを噛み続け、睡魔に抗い続けた





途中、あまりの風の強さに何度もテントが吹き飛ばされそうになった(後にテントを回収する時に支柱を見たら、見事に曲がってしまっていた)







つい数ヶ月前まで、日本で毎日身の危険を感じることなく、ふかふかのベッドで寝ていた自分



今ではそのような生活が、逆に非現実的な生活に映って見える







そして今まで特に大きな問題がなかった自転車旅


自分はただ運が良かっただけと思った







ガムを噛み続け、喉の渇きと砂嵐に耐えること8時間、時刻は午前2時



風が徐々に弱まってきた




自転車の装備が風で飛ばされてないか、外に出た



幸い、自転車についていた荷物は飛ばされていなかったが、自転車ごと4メートル程移動していた






辺りを見渡す、光は何一つない




自分は砂漠の真ん中にいるのだということを再認識した





そしてふと空を見上げた












空には満天の星空が広がっていた









今までの人生の中で、間違いなく一番綺麗な星空だった




砂漠は周りに人工的な光ないし、空気中の水分も少ないので、こんなにもはっきりと星の煌めきが見て取れるのだろう





自然の脅威の中に怯えている中で垣間見えた美しさに、感銘を受けると共に、理不尽さも覚えた










その後はテントに戻り、ひたすら通り過ぎる車を待ち続けた





そして夜が明け、時間は過ぎ、時刻は午前11時をまわった。




テントの中はサウナのように暑いが、外で直射日光に当たるよりましだった





ガムを噛み続けているが、ついに唾液もあまり出なくなってきた






そして猛烈な暑さと共に、喉が灼けつくように渇いてきた







待つしかない、足が痛み動けない以上、暑さと渇きに耐え、待ち続けるしかないのだ







眠気と暑さによって朦朧とする意識の中、
遠くからエンジン音が聞こえてきた






僕はテントの外に飛び出し、車に助けを求めた








僕「ストーーーーーーーーープ!!!!」









急に道の真ん中に奇声をあげた外国人が飛び出してきたため、車の運転手は驚いた様子で車を急停止させた







今思うと非常に危ないことをしたが、喉の渇きと、この車を逃したら次はないという執念で、リスクなど考えている余裕などなかった






運転手にもちろん言葉は通じなかったが、僕の必死さを見て状況を理解したらしい、僕が来た80km先の町まで連れて行ってくれることになった





道を戻ることになってしまうことになってしまうが、生還できるならもうなんでもいい





しかも、車には荷台がついていて、自転車も運んでもらえることになった








僕は何度も運転手に頭を下げた







僕は助かったのだ







そして、自転車と荷物を荷台に積み終え、助手席に座ると、僕はいつの間にか眠りに落ちていた








長すぎてダイジェスト版になっていませんが、次回に続きます(笑)