174日目 コルカタ散策 | ユーラシア大陸自転車横断記 2015〜2016

ユーラシア大陸自転車横断記 2015〜2016

社会科教員を目指している大学生です、自転車でポルトガルから東京にある大学まで帰ります!

これから、イラン以降の空白の過去編をアップしていくので、よろしければ過去に少し遡ってご覧下さい
とりあえず、トルクメニスタン編はアップしました。



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今日から飛行機の出発までの四日間くらい、コルカタの町をぶらぶらしようと思います




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街の駅前にて
カトマンズはバックパッカーのバイブルとも呼ばれる沢木耕太郎著作『深夜特急』の舞台でもある


「雑踏の街」と呼ばれるこの街だが、僕にしてみれば小さい農村部を除いて、インドはどこでも「雑踏」という言葉が当てはまる気がする




中東から中央アジアにかけて、地平線に果てしなく広がる砂漠や平原を走り、人口密度が低い地域が続いていた僕にとって、インドから始まった交通量の多さ、街の雑踏は、僕に多少の鬱陶しさを抱かせつつも、アジアの活力、エネルギッシュさを感じさせてくれる




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ここコルカタは西ベンガル地方と呼ばれる地域に含まれる、海に近いということもあり、カレーは海産物を使ったものも多かった。これはシュリンプカレー


インドの中でカレーと言っても一括りに出来るものではなく、地域によってカレーに入れる物が異なるようで、この地域を含めインド南部ではカレーにココナッツが使われているみたいです。僕はココナッツカレー好きなのでうれしいです





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食後はいつも通りチャイ
西ベンガル地方に入ってから、チャイをこのような素焼きの器で飲むことが多くなりました



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飲んだ後はこのように地面に器を投げ捨てます。つまり、この器、一回一回使い捨てです。



なぜこんな勿体無いことをわざわざするのでしょうか。


いくら器の値段が安いと言っても、それは日本人である僕の金銭感覚であり、インドの人にとっては毎日数回も飲むチャイ、累積するとその値段もバカにならないでしょう


それにインドの衛生状況を考慮しても(食べ物のショーケースをネズミが走り回っていたり...)、チャイの器に限って清潔さを保とうとする理由がわかりません





調べてみると、実は、この背景にはヒンドゥー教の「穢れ」の概念の存在があるみたいでした



「穢れ」って簡単にいうと不浄な状態を指しますが、これは物理的汚れ、例えば服についた泥とか、そういう汚れではなく、精神的汚れ、例えば家族の他の人が使っている箸は洗ったとしてもあまり使いたくないとか、物理的には綺麗なのに感じてしまう汚れを専ら指します



この「穢れ」って意識は元々、インドにおいて一番早くに登場したバラモン教に始まりますが、当然バラモン教から多くの観念を引き継いだヒンドゥー教にも「穢れ」という認識が現れます



つまり、現在のインドにおいては「穢れ」という観念をもつヒンドゥー教徒が多数派で、以上のように「他人が口をつけたものは洗ったとしても汚れている」と考える人が多いので、一回一回使い捨ての容器が好まれるわけですね


また、この考え方が基本となっているので、当然、人が使ったスプーンやフォークも洗っても「穢れ」が残っていると考えられます。



従って、物を食べる時はスプーンやフォークを使わずに手を使って食べる、というあのインドの食べ方が生まれるわけです。
また場合によっては皿もバナナの葉っぱなどになったりします。



食事を手で食べたりすることは、箸やスープン、フォークを使って食事をとる文化圏からすると、「粗暴」や「汚い」という上から目線の考えに繋がってしまいがちですが、彼らにしてみればこの様式は思想、信条によって形成された文化の一つであり、箸やフォークで食べるよりもよっぽど「綺麗な」食べ方なのです。




以上のようなインドのバラモン教から始まる「穢れ」の考えはヒンドゥー教だけでなく、仏教、神道に影響を及ぼし、知らず知らずのうちに日本人の思考に根付いたものになっています(よって前述したような例えも成り立ちます)


日本の神道では「禊(みそぎ)」という神事の前に海や滝の水で体の「穢れ」を落とす行為がありますが、インドのヒンドゥー教徒によるガンジス川の沐浴、あの行為も体の罪を流し清めるものとして捉えられており、一種の「禊(みそぎ)」として考えていいのかもしれません。



距離的に離れていることもあり、一見すると共通点があまりないように見える日本とインド



しかし、旅をしていると、ひょんな事から両国の間の繋がり(宗教、文化など)を垣間見れることができます



補足
※それではなぜ、インドと日本において同じような「穢れ」思想が根付いているのにも関わらず、インドではより思想が徹底されているのか?(ご飯を手で食べたり、器が使い捨てだったり)という疑問についてですが、その背景にはバラモン教から引き継ぐヒンドゥー教のカースト(身分制度)の存在があります。

簡単に言うと、自分より身分が下の人間が口をつけたものは、さらに「穢れ」があるものとみなされるわけですね。なので日本よりも日々の中で「穢れ」を意識することが多くなります。

この「穢れ」の認識は、インドのカースト制(僕は田舎で「不可触民」と呼ばれる人にも会いました)、日本における穢・非人の問題など、差別を生み出す根源にもなっています。興味がある人は是非調べてみて下さい。

(憲法によって建前上カースト制度は否定されましたが、主に農村部を中心に、人々の意識レベルはまだこの制度は生き続けてるみたいです)






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夜はコルカタで一番うまいと言われているラッシー屋さんに来ました。

ミルクが濃厚で非常に美味です。調子に乗って3杯もお代わりしてしまいました。


インドはチャイに、ラッシーにスイーツ、本当にミルクをたくさん使った物が多いです


それもそのはずでインドは牛の飼育数世界第1位、牛の頭数は約2億(2010年)


しかもヒンドゥーー教は牛を食べること禁じ、一部の州を除き法律で禁止されていることもあり、この2億頭の殆どが農業か酪農目的で育てられているのでしょう


人伝てに聞いた話によると、この前デリー近郊の村で、イスラム教徒が牛を殺して牛肉を食べたとして怒った群集に撲殺された「牛肉殺人事件」が起きたらしいです


日本人の感覚からすると「それで殺すの??」と驚いてしまいますが、ヒンドゥー教徒にとっては、シヴァ神の乗り物である牛は神の使い、その牛を殺すことは親殺しよりも罪が重いらしいです。



牛を神聖視すること、これは今まで旅の中で見つけましたが、インドだけではないのですよね



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これ、イラン滞在時に寄ったアケメネス朝ペルシャ帝国の都ペルセポリスです。(イラン編でまた詳しく書きます)


上の写真は牝牛、下は人面有翼雄牛の像です。


ペルシャ帝国でも牛はゾロアスター教によって神聖視されていたようでした。



牛が色々なところで神聖視される理由、それは農耕が必要な人々にとって牛は貴重な労働力になるし、牛のミルク、そこから作られるバターは重要な栄養源になる、そのような理由からなのでしょうか



調べてみると、おもしろいことに、インドとペルシャ帝国の中東地域においても、その先祖は同じ、中央アジアから下ってきたアーリア人。
しかもアーリア人は農耕民族。


このような背景から牛への信仰も必然的に生じてきたのかもしれません



僕が修学旅行で立ち寄った太宰府天満宮であったり、日本でも牛ゆかりの神様が祀られている神社をよくみかけますが、これも昔から農耕が主であった日本の実情を反映しているのでしょうか





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次の日に行ったのがマザーテレサがここで働いていたと言われる「死を待つ人の家」


この場所は1952年にマザー・テレサにより設立された、貧困や病気で死にそうになっている人の最期を看取るための施設だそうです


ちなみにここで看病されている人は、自分から来る人もいますが、街にいるホームレスなど、体調の悪そうな人たちを見つけて入所を進めるらしいです。
要はお金や身寄りのない人たちが、無償で看病されている場所なのです。


僕はこの旅の途中、マザーテレサの生まれる故郷のスコピエ(マケドニア)にも寄ったので、なんだか感慨深いものがありました。



ボランティア体験も出来るみたいなのですが、僕のような怖いもの見たさのような、そんな軽率な気持ちでやるのもどうなのかなと思い止めました。



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施設の脇の川沿いにあるスラム街、そこには多くの子供たち



川の氾濫の恐れがある川沿いは地下が安い、よって貧しい人たちが集まりスラム街が形成される




ここにいる子供たちはお金がないため教育も受けられず、大人になり満足した賃金を得れず、そして子供を生み、富の格差は再生産され続ける



短期的には効果は得づらい「教育」、しかし時間はかかろうが、格差を是正するための公教育の役割は必ず必要なものですし、そこへの援助を政府には怠ってほしくないです。
今の日本の状況を見ていてもそうですが...


ブッダガヤの孤児院、学校、そしてこのスラムを見て色々考えさせられますし、日本も決して他人事ではない問題だと思います。






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コルカタで最後に立ち寄ったのがヒンドュー教のカーリー寺院です



ここはヒンドゥー教の中のカーリー女神を祀った寺院です




これがカーリー神です、「殺戮と恐怖の神」です。


下で感じているように見えるのが旦那のシヴァ神です、もはや尻に敷かれてすらいません


「殺戮と恐怖の神」であるので、当然、寺院の捧げ物も普通の物ではありません、子ヤギの生首です




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寺院の中に入りました


ちなみに寺院の中は写真撮影禁止ですが、僕のジャーナリズム精神が疼き、果敢にも写真を撮影しました。(嘘です、知らずに撮影して怒られました、真似しないで下さい)



ちなみにこの上の建物の中に羊が連れてこられ、首を切られます


境内には、生贄が行われたことにより、あちこちの床に血が滴り落ちていて、「殺戮と恐怖の神」の名に相応しい、物々しい雰囲気が漂っていました



(以下、儀式の過程です。グロテスクな表現を含みますので、見たくない人は控えて下さい...)



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建物の前にいると、子羊が連れてこられました。


この寺院では、参拝者が羊をお供えものとして市場で購入し、ここに連れてくるみたいでした。なので日によって、捧げられるヤギの数も違うみたいです



ヤギに寺院の人が花輪かけます、ヤギはこれから自分の身に何が起こるかわかりません、呑気にむしゃむしゃ首飾りの花を食べています


そしてヤギの頭に家族が塗料をぬると、皆がヤギの耳元で何か唱えます。



これは後で調べてみたら、ヤギの耳にお願いごとをすると、カーリー神にその望みを届けてくれるとのことでした。





そして、お願いが終わると、家族、そして首を切るための執行人が共に建物の中に入っていきます



そして、台に固定されます


ヤギの体が皆に持ち上げられ、台に無理やり固定される段階になると、さすがに羊も抵抗のために鳴き声を荒げます



その声が悲痛に僕の耳に響きました



そして、羊が台に固定されると、脇で太鼓を持った少年が太鼓を打ち鳴らします。
いよいよ生け贄が行われるようです。


太鼓のリズムが早くなり、音が大きくなった瞬間、執行人のおじさんの斧によって、羊の首は簡単に切り落とされてしまいました


首を切られた後も、しばらく、顔と、体は動いていました




そして羊の胴体と首は、執行人たちによって境内を引きづられていき、首は祭壇へ、そして胴体は作業場に置かれ、係りの者たちによって鮮やかに解体されていきました



この解体された肉は、寺院の周辺にいる貧民たちに無料で与えられるらしいです




羊の生け贄が行われている最中、次の番を待っている羊たちは、自分がこれからどうなるのか察したのか、ずっと鳴いて抵抗していました





一回目の生贄が終わった後も、執行人のおじさんや係りの人たちは慣れた作業で、また生け贄の儀式をこなしていきました



特に感情を込めることもなく機械的にヤギを殺めていく光景を目にして、残酷だなぁと感じた自分がいたことは事実ですが、自分もそのように殺められた動物の肉を食べてますし、逆にそのような日本の現状に比べたら、神への捧げ物として神聖視され、屠られた後も貧しい人たちにありがたみをもって食される、この羊の方ががましなのかなとも考えてしまいました。





生き物の扱いにおける「残酷さ」、この基準は本当にその国の文化や思想によって異なることが多々あるので(日本の「活け造り」、イルカの問題もそうですし)、容易に考えられることでもないですし、難しいですよね





最後はグロテスクになってしまいましたが、コルカタは満喫できたと思います、次はタイに飛行機で飛びます!