宿の外
朝起きて窓の外を見ると、まだ10月の終わりにも関わらず、薄っすらと雪が積もってます
この旅ではトルクメニスタンの後半まで半袖半ズボンで過ごすことができましたが、カザフスタンまでくると気候も大陸性気候に移り変わり、冬に近づくにつれ厳しい寒さが襲ってくるのです
軽量化のためにも長袖長ズボンを持ってきていないので、今着ている全ての服は旅の途中でもらった貰い物
我ながらよくここまでやってきたと思います
とりあえず、早くネパールに南下して温まりたいですね
この宿に1週間泊まったのですが、毎回ご飯の時間の旅に「一緒にご飯食べようっ」と言われ、ご飯をご馳走になっていたのでした
彼はベルギーで行われる卓球の世界大会に出場するために、ここアルマトイに来て数日間練習し、ベルギーに旅立つのだそうです
「日本人、卓球強いよな、試しに勝負しよう」
と、体育館に連れて行かれ、日本人代表としてフルボッコにされました
街中にあった中華料理屋で食べた炒飯、麻婆豆腐
アルマトイから東に300km程進むと、もうそこは中国
その影響か、街中には中華料理店も多く見受けられました。
中華料理好きの僕にはうれしいです
第二次世界大戦が終わった際、投降した日本軍の捕虜がソ連によってシベリア等に送られたシベリア抑留
あまり知られていませんが、ここカザフスタンにも60万人を超える抑留者のうち、6万人が連れて来られたらしいです
無数に並ぶ、日本人の墓
隣にはドイツ人の墓地もありました、同じく敗戦国の捕虜として連れて来られたのでしょう
アルマトイに連れて来られた捕虜によって、現在の市内の大学や警察本部が建設されたらしいです
10月の終わり頃に雪が降るほどの寒さ、満足な食事を与えられず、真冬の中での作業は過酷を極めたことが容易に想像できます
ふと、僕が前に学校の授業の一環で介護施設に行った時のことを思い出しました
入居者の一人で、シベリア抑留の経験があるおじいさんがいたのですが
そのおじいさんは
「辛すぎて話したくない」
と言っていました
シベリア抑留のように、戦後に日本人が捕虜として外国で働かされ、多くの人が命を落としたという事実はあまり知られていません
このような事実を再認識する一方で、日本も同じように戦争時に多くの国外の人々を連行し、犠牲を生んだという事実も忘れてはならないのかもしれません
ずっと宿にいては体が鈍るので、近くの山に登りに行きました
この頂上からは、アルマトイの街が一望できます
カザフスタンの旧首都アルマトイ
1998年にアスタナに首都は移転されますが、この遷都には政治的機能の移転の意味合いが強いため、未だにアルマトイはカザフスタンの経済、教育、文化の中心となっています
今回カザフスタンも含め、初めて中央アジア諸国を旅したわけですが、自分にとって馴染みのない国が多かっただけに、色々と勉強になることがありました
まずはペルシャ帝国の文化やイスラム教といった、中東地域からの影響が色濃く残されていることについて
トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンなど語尾に「~スタン」という名前がつく国が多い中央アジア
この「~スタン」という名前、「~の国」「~の土地」を意味するペルシャ語らしいですね。
そして「~スタン」の前には民族の名前が来るので、ウズベキスタンなら「ウズベク人の国」、トルクメニスタンなら「トルクメニ人の国」となるみたいです。
「~スタン」が以上のような意味なのは知っていましたが、これがペルシャ語であったとは初めて知りました
またペルシャ文化の一つであるペルシャ絨毯はトルクメニスタン、ウズベキスタンでよく見かけましたし、ペルシャ由来の楽器、タイル張りの建築物もありました。
そして何よりも、中央アジアには中東発祥のイスラム教徒が現在でも多数派であり、ここアルマトイももちろんのこと、モスクが多くの所にあります
このような事実からも、中央アジアは中東の存在なしには語れない背景があることがわかりました
次にロシア(旧ソ連)の影響です
現在はそれぞれ独立した国となっているものの、現在の中央アジア一帯の国は元は殆どソ連の一部
ロシア語が公用語になっていない地域でも、普通にロシア語が通じますし、喋ってたりします(ロシア語と東欧諸国の言語ってかなり似てるらしいですが、僕が東欧を旅してた時によく聞いた言葉を、トルクメニスタンウズベキスタン、カザフスタンの人達が喋っていたので、今思うとあれがロシア語だったのだと思います)
また旧ソ連時代の名残で、ウズベキスタンやカザフスタンを旅する外国人は、宿で発行してもらう滞在証明書が出国の時に必要になり、外を出歩く時も外人はパスポートを携帯することを法律で義務付けられています
つまり、国内において、外国人の滞在はあまり自由が効かないようなっています
自転車旅だとこれ、かなり辛いのですよね、野宿できないですし
これが守れないと罰金を取られることになります
結局このようなシステムの背景としては、旧ソ連の閉鎖的なお国柄や、共産主義体制時の警官の給料が均一だったことによる外人への罰金徴収(小遣い稼ぎ)があったようです
これらのロシアの言語や制度的な名残以外にも、カザフスタンで食べられるピロシキなど、食文化においてもロシアの影響を垣間見ることができます
中央アジア諸国
古代シルクロードがあった時代から現代まで、東西様々な文化の影響が見られる国々
まだ見切れていない所もたくさんあるので、また今度、ぜひ訪れたい地域です
次回はネパールに飛びます!