求める誰かはもともといない | 歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

歓びのシンフォニー :『私』の先に在る真実 : 非二元・ノンデュアリティ・悟り・覚醒

生きづらさとは、今ここに対する抵抗だった。
『私』という夢から覚めること。
ストーリーの外に出ること。
真実はひとつなるもの。
歓びの表現が在るだけ。


最近、

この『非二元 』『ノンデュアリティー』という言葉の解釈が、全く違うものを指していることに憤りを感じています。


もちろんそれも起きているので

それだけなんだけど、


個人が所有してしまった非二元は、

やはり個人のためのものとして利用され、

個人の都合の解釈を抜けないのだと痛感していて💦💦                 

 


そんな中、

気付きの報告を頂きました。






ゲットしたぞーーー!!!






Nさん∶


 前回AKANEさんとのやりとりの後、相当へこんでしまい、もう非二元ムリだーみたいになってたんですが、どうしてもあきらめきれず、何度も何度も「よーく見る」をやり続けました。 


今まで言葉や知識で使ってた「それしかない」じゃなくて、本当にそれしかないんです! 


「それ」という言葉もなんか違うというか、そもそも指し示すものがないというか。 

指し示した時点で、指し示してる誰かがいるみたいで。


 AKANEさんがおっしゃってたダイレクトの意味もやっと分かりました。 

そして、この「分かった」というのも、分かった誰かはいないですね。 

気づくものと気づかれるものに別れてなくて、本当に本当にダイレクトにそれが起こってるだけなんですよね。 


あまりにもシンプルで当たり前すぎて、頭で考えても気づけないの当然ですね。 


そして、AKANEさんが阿部敏郎さんを嫌いなワケもよーく分かりました🤣 

阿部さん主催の禅サンガに入会しようか迷ってたんですが、もう迷うことはありません。


 AKANEさん、気づきは手柄でも特別でもなかったです!

 ありがとうございました。




☆☆☆



A∶平安や至福、安心みたいな感覚はありますか?



平安や至福みたいな感覚はないです!笑


よく非二元スピーカーさんがおっしゃってる平安や至福の意味はよく分からないんですが、もしそれを認識したとしたら、それはストーリー上のことかと。

個人が大好物なやつです😅



A∶求めることは完全に終わりましたか?


もし、終わりましたと言ったとしたら、それはストーリー上のことかと…

でも、やっぱり求める誰かはもともといないですよね。






早くカブトムシとれないかなぁ〜






このなんでもない当たり前さに

個人は気づけない。



このなんでもない当たり前さは

決して宝物ではなく

特別ではなく

個人が所有できるものではない。




これは


不足が充足になるとか

不安が安心になるとか

絶対的な至福や信頼が手に入るとか

そーゆー変化の話ではないのだ。





ちまたの非二元メッセージと 

ここからのアイディアの違いに

気づいてくれたら、嬉しいな。。。