【思ったこと】『私は私。母は母。』を読んで思ったこと。娘として。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。

 あっという間の一週間でした。お久しぶりの更新です。

 書きたいことは山ほどあるので頑張って更新していきます。

 【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』母はなぜ葛藤しないのか。
 【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』社会的役割による女性への期待。
 【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』娘が母になってできること。

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 上記の本を読んで、母の子育てがああだった理由が、
 母自身や母の母(祖母)だけのせいでなく、
 社会の責任(影響)も大きかったのかもと思った。

 責任が、母親個人でなく社会にあると考えると、どこかちょっとほっとした。

 それが何故かを考えてみた。

 母が悪いわけではないと思えるから?
 責任の所在が曖昧になるから?


 それがよいかは別かとして


 本来、責任を追求するのは
 責めるためであるより、
 次に良くするためでなければならない。


 「ならない」ことではないかもしれないけど


 その方が好ましいと思う。


 思うなら、
 過去の変わらない出来事の責任を追求するより

 社会のせいだと思って、


 母を責める気持ちをいったんどこかに
 保留するのもありなのかもしれないと思った。


 保留したなら、自分はどうするか。

 過去の変わらない出来事を

 そこで受けた自分の傷を、
 母との関係で学んだことを、
 そこにあった社会の影響を、
 どう活かすを考えた方が、絶対自分の役に立つ。


 そして、その方が建設的だし、発展的だし、前向きだなと。

 そんなことを思ったのでした。