あっという間の一週間でした。お久しぶりの更新です。
書きたいことは山ほどあるので頑張って更新していきます。
【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』母はなぜ葛藤しないのか。
【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』社会的役割による女性への期待。
【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』娘が母になってできること。
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上記の本を読んで、母の子育てがああだった理由が、
母自身や母の母(祖母)だけのせいでなく、
社会の責任(影響)も大きかったのかもと思った。
責任が、母親個人でなく社会にあると考えると、どこかちょっとほっとした。
それが何故かを考えてみた。
母が悪いわけではないと思えるから?
責任の所在が曖昧になるから?
それがよいかは別かとして
本来、責任を追求するのは
責めるためであるより、
次に良くするためでなければならない。
「ならない」ことではないかもしれないけど
その方が好ましいと思う。
思うなら、
過去の変わらない出来事の責任を追求するより
社会のせいだと思って、
母を責める気持ちをいったんどこかに
保留するのもありなのかもしれないと思った。
保留したなら、自分はどうするか。
過去の変わらない出来事を
そこで受けた自分の傷を、
母との関係で学んだことを、
そこにあった社会の影響を、
どう活かすを考えた方が、絶対自分の役に立つ。
そして、その方が建設的だし、発展的だし、前向きだなと。
そんなことを思ったのでした。