【思ったこと】『私は私。母は母。』を読んで思ったこと。母として。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。


 【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』母はなぜ葛藤しないのか。
 【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』社会的役割による女性への期待。
 【本】『私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本』娘が母になってできること。

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 ちょうどこちらの本を読んだ後に、こちらのブログを拝見しました。


言わずに済んで、良かった。|3匹の子ブタ in the HOUSE ~50㎡に5人の朗らか生活~

 その紹介とともにつぶやいたのがこちら。


 このツイートへの反響が(私のツイートのレベルにしては)大きくて驚きました。
 と言っても、基本的には紹介したブログへの反応ということなのですが。

 ツイートした通り、毎日毎日毎日毎日、やってはいけない方の言い方をやっていました。
 やってはいけないと思いつつ、やっていました。

 ブログで紹介されている選択理論の本も読んだし、持っています。(また後日紹介しようと考えています)



 でもやっぱり、改善には至りませんでした。
 アンガーログも、意識にはあります。

 でもこういう小言って、怒っているつもりはないのです。
 もちろん口調が怒鳴るようになれば「怒っている」と思います。
 だけどそうでない場合は、「言い方がちょっと悪くなっただけ」という意識でした。

 上記のブログにあったこの言葉が、本当にまさしくそうでした。

  「起きたこと」から何か学ばせなきゃ、とか、
  ダメだししたり、
  「ごめんなさい」って言わせようとしてたんです。

 「教えなきゃ」

 もうそれだけです。

 「わからせなきゃ」
 「理解させなきゃ」
 「覚えさせなきゃ」

 ひどく上から目線だな、と思います。

 さらに、そのうえ、
 「ごめんなさいと言え」という圧力をかけるのです。

 この「ごめんなさい」は、
 理解しろではなく、
 「お母さんは正しいです。私(ぼく)は間違ってます」
 と問答無用に認めろ、ということです。

 当然、親は子供に教える立場にあることは事実です。

 だけど、教えるのに、嫌みを言う必要はないのです。
 相手を傷つける必要なんて、ないわけです。

 相手を貶めて、優越感に浸ったって、
 子どもの中に何も生み出しません。

 わかっていても、反射的にやってしまう。

 それが、「私は私。母は母」の本を読んだ時に、
 これはもう絶対にやりたくない、と思いました。
 (理由はこちらに書きました)

 そうするためにはどうするか?

 自分の中にある「教えなきゃ」を
 やめなければならないと思いました。
 この意識がある限り、絶対に繰り返すだろうと思ったのです。

 よくな言い方をしていると思っているときに、
 頭の片隅にあったのは、
 「でもだってわからせなきゃいけないんだよ」
 「他に方法なんてないでしょ?」
 という、言い訳です。

 「教えなきゃ」をやめるにはどうしたらいいんだろう、と思いました。
 「教える」のをやめるしか方法はないんだなと思いました。

 できないことは、できないんです。

 できないことを、教えるのではない。
 教える形になることもあるだろうけど、
 親がやることは、子どもの学びをサポートするだけ。

 そうなりたいと思いました。

 あくまでも主体は子供自身。
 学ぶのも子供。
 育つのも子供。

 その成長を見て、
 年齢と必要度に応じて、
 軌道修正のきっかけや
 進む方向の見つけ方を教えて、
 あとは任せる。

 「教えなきゃ」ではなく。
 「学びをサポートさせてもらう」

 そういうスタンスへ移行しようと思いました。

 そのために、本文中の、
 子どもは母を困らせようと思って何かをすることはない、
 という言葉を頭に入れておこうと思いました。
 (実際にそういう行動がそういう目的で起こるなら、それはまた意味が違ってきますよね。
  甘えたいとか、気を引きたいとか、そういう真意があるはず)

 少しは、言葉かけを変えられて行くんじゃないかな、と感じています。
 まだまだ、ですけどね。

 子どもへのコーチングの入門講座でだったと思うのですが(ママイキだったかな…)、
 こういう話を聞いたのを最近よく思い出します。


 あなたは、テニススクールに入りました。
 テニス初心者です。
 ラケットの持ち方も振り方もわかりません。

 同じ力量、生徒への情熱も愛情も同じコーチが二人いたとして、

 「持ち方が違う! 説明しただろう! 覚えてないのか!? 何度やったらわかるんだ!?」
 と、正しく持てるようになるまで怒鳴るスパルタコーチと、

 「持ち方は、こうですよ。わかりますか? わからないことはありますか?」
 と、正しく持てるようになるまで優しく何度も教えてくれるコーチ。

 どちらのコーチについて習いたいですか?
 どちらのコーチだと、練習したい、練習に行きたいと思いますか?
 どちらのコーチだと、より速く上手になりたいと思いますか?
 どちらのコーチだと、テニスが楽しくなりますか?

 答えは、問われるまでもないですよね。

 あなたはどちらのコーチを目指しますか?
 目指したいですか?
 目指そうと思いますか?