【物事の順序】その7。全体のイメージはあくまで全体です。 | 思考も部屋も行動も! スッキリ楽に暮らしたい♪

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片づけが苦手なADHD傾向がある主婦の、部屋も思考も時間も行動もスッキリ楽に快適生活を目指す、記録ブログです。
思ったことを徒然に書きつつ、大切なものを大事にして、楽に自由に生きたいなあと思ってます。


 【物事の順序】ここ2か月くらいずっと感じていることがようやくまとまってきました。導入。
 【物事の順序】その1。「自分を認める」の意味。
 【物事の順序】その2。変わりたいと思った時に、変えるべきもの。
 【物事の順序】余談。私をバカにする「すごい人」は本当にいるか?
 【物事の順序】その3。自分に対する思考という土台とその変化。
 【物事の順序】その4。思考の土台(自分への意識)を変えるために必要なこと。
 【物事の順序】その5。自分を変えるには、長期計画しかない?
 【物事の順序】その6。変えたいものが何で、変えるべきは何なのか。

 また、リプライを頂いて、思ったことがあるので書いてみます~。



 細部の行動を実行に移すのに、前提として氷山全体を見ておかないといけない気もするというのもわかるのですが、
 なんとなく、誰もが前提となる氷山(自分)全体って、イメージを持ってるんじゃないかなあと思うのです。

 こういう形の自分、というイメージ。

 だけど、それって日本地図に似てるんじゃないかなあと思ったのです。

 大体の形はわかる。
 大きさの比率もわかる。
 場所もわかる。

 でも、具体的にはわからない。(正確に描けない)

 例えば、日本地図がどういうものかはわかってるけど、日本地図の海岸線を実際に鉛筆でなぞってみたら、どう思うでしょう。

 「え? ここってこんなに細かい凸凹があったんだ」
 とか
 「へえ、ここで実は直線じゃないんだな」
 って思ったりしませんか?

 細かい部分の行動をするって、その行動をしてみて初めて、
 「実はここは、こんなに出てる!」とか
 「凹んでる!」とか
 「歪んでる」とか
 「突起がある!」とか、
 そういうことに気づくということじゃないかなと思うんです。

 そして、そこで初めて、全体的なイメージが、いかに全体でしかなかったのか、ということがわかる。

 なぞっていく細部は、繊細で、凹凸があって、自分が思っていたような形をしていない。
 それは、新鮮で、驚きもあって、裏切りもあって、そして、納得するんじゃないのかなと。

 片づけで言うと、全体(日本地図)は、「片づけのイメージ」です。

 シンプルな部屋で、物があるべき場所に収納されていて、ごみは落ちてなくて、インテリアとして統一感があって、そういうイメージを具体的に作りあげることが片づけだ。

 というような感じ。

 でも、実際に、立ち上がる(地図の線をなぞる)、という行動に移ってみると、
 まず、ゴミが落ちてるよね、とか、
 あるべき場所が決まってないものがあるよね、とか、
 あるべき場所って、どこ? と思えるようなものもたくさんあるとか、
 そもそも、子どもが触る場所に何を置ける? とか、
 散らかされた場合、どう対応する? とか、

 そもそも日本地図全体をなぞるまで(片づけのイメージの達成)にどれだけの障害があるの!? って感じなわけですよ。

 そもそも片づけって、「掃除」と「収納」と「片づけ」の複合イメージだったりするのに、

 でも、なんとな~くぼんやりとは「片づけ」という一つの全体イメージになっていたりします。

 もちろん、全体のイメージを具体的にする(ゴールを具体化する)というのは有用だと思うけど、
 でも生活は日々進むわけで、
 止まる暇もなければ、
 ゴールばっかり具体化していても何も変わらない。

 ということで、ゴールの具体化を一旦おいておいても、
 細部を進めることで見えてくるものもあるし、
 微調整が効く部分もあるし、
 細部を見つめることで全体像がいきなりクリアに見えてくるかもしれない。
 と思います。


 自分をどうしたいか、とか、
 自分がどんな人間か、っていうのも、
 ぼんやりとわかっているけど、
 細部を一つずつなぞっていくと、
 「え!? 自分ってそうなの!?」
 「え? そんなことが引っかかってたの?」
 というような細かなことが見えて来るするんだなと。

 それが日々の気づきだったり、そういうものだと思います。

 所詮、大抵のことは、小さなことなんですよね。

 自分がどう生きるか、は生きてみないとわからない。
 で、生きることに、食事や洗濯や家事や育児や勉強や仕事や人付き合いや楽しみや趣味やって色んなものがすべて入っているので、

 大きく「楽しく生きたいなあ」とかそういう全体を一つだけ持っておけば、
 あとはどんなに大きいことも全部の一部なんじゃないかなあと思うのです。

 で、食事や洗濯や家事や育児や勉強や仕事や、それぞれの本当に細部(片づけるなら立ち上がる、くらいの小ささで)を、できるところからできるところだけやっていけば、見えてくるものは多分何倍にもなると感じてます。

 もちろん、日本地図を知らない人に「日本地図の細部を見て書け」という話ではないです。
 全体が全くない状態で細部だけを見るのは、迷うだけです。
 でも、意識しているかしないかだけで、多分、大抵の人はぼんやり「自分はこういう人間だろう」ってイメージはあると思うのです。
 それが本当にそうなのかどうかは、細部を見ていくことが重要じゃないかな、と思います。

 バランスよくが一番だけど、うまくいかない時は、立ち上がる!(くらいの小さな行動をする。笑)
 それだけで、いいんじゃないかな、と思います。