不安と依存のドッジボール②
不安と依存のドッジボール①のつづき
ヒーリングするSさんの元へ到着し、いざ!ヒーリングを始めたのですが…
この方の小宇宙でもある、オーラがなんとも重たく見受けられた私でした。
(((;゚д゚)))
私が施術している間も、延々と身体の不調や日頃の不平や不満が、この方の口をついてでます。
その内容も右に左に、あそこかと思えばここといった具合で…
焦点の定まらぬ支離滅裂な内容でもあり、Sさんの混乱した内面を投影しているかの様なその言動と言うもの…
普段であれば、私はヒーリングする時にクライアントの方に目を閉じて頂き、必要以上の会話をしない事によって、ヒーリングの周波をを体感して頂くのですが…
Sさんの場合は溜め込んだ不要なそれを吐き出させる事もヒーリングに必要な様で…好きな様に話しをさせておいたのです。
その内容というのも…医者にいけば、いったで、「あなたは長期の通院治療が必要です!」と言われたり…
霊能者まがいの方に縋れば、「あなたは、先祖の供養に問題があり、霊障の兆候が見られるので、そうした事から逃れたければ、長い間こちらに通われなければなりません!」と脅かされた事もあった様で…
この方には失礼な言い方になってしまいますが、不安としている事を読まれ、鴨がネギを背負ってきたとばかりに、しっかり依存する様に仕向けられているフシがあります。
(-.-;)
Sさんは、こうした状況からか、ご自分の身体の不調というものが、益々出口のない深刻なものとして、自身の中で実体化させているかの様に私には見受けられたのでした。
聞けば…内蔵疾患等とは違い、自転車に乗っている際の事故による関節の痛み…
私にはSさんが私に訴える痛みの症状よりも…何を頼りにして、何を柱にして生きて行ったらいいのか?という心の叫びと共に…
全く地に足の着いていないかの状態…「自分」と言うものが、身体の中におらず、人の言う事や集団心理や概念に影響や支配を受けやすい脆さを私はそのエネルギーから感じとっていました。
その事をSさんに誤解を招かない様に優しい言葉でお伝えすると…
「エッ」とそれまでの饒舌がピタリと止んでしまったのですが…笑
施術が終わり、Sさんの両肩に手を置き、「お疲れさまでした。」と声をかけると…
「私なにを考えていたんだろう?図星な事を言われて返す言葉がなかったんだけど…全くあなたの言う通りだわ…」と
施術前は高く上げる事の出来なかった左の腕を高々と上げて「ねえ!見て!見て!腕が上がるでしょうこの通り!!」と無邪気に喜ぶその姿を見ると…
その姿を見て私も素直に嬉しい気持ちになったものです。
そして施術の間、この方の高次の存在からのメッセージとも思える、Sさんが瞑想をするイメージを受け取っていたので…
自分自身を見失わない為にも朝夕、20分程度でも瞑想する事をお勧めさせて頂いたのでした。
お医者さんや、人のエネルギーの変容を促すヒーラーの言う事は、時にその人にとって良くも悪くも大きな影響をもたらす時があります。
お医者さんの世界の事は私にはわかりませんが…
ヒーリングや透視をする癒し手にとって、その人のエネルギーから感じ見えた事をそのまま伝える事はととも大切な事です。
しかしながら…
逆の言い方をすれば、力のある癒し手にとっては、人に不安要因を植え付け、こちらに依存させてしまうのも簡単な事なのかもしれません。
こうした事はお互いにとって、カルマを生み出してしまう事になりかねません!
『あの人の言う通り全て従ってきたのに、一向にに良くならないじゃないか!』
『いったいどうしてくれるんだ!?』と言う様な、抜き差しならぬドラマに発展しかねません。
思えば…人の不安を利用し、煽り立て利益を得ている商売の何と多い事でしょうか?
マルチ商法、健康食品や美容やダイエット商品等etc
中には良いものやすばらしい物もたくさんあります。
商品の説明も、事実に即した良心的なものを感じるものもあったりもします。
しかし…中にはあからさまに拝金主義のそれを感じるものもあり…
世の多くの女性が、美しくある事を願い美容やダイエットに興味を示すのは良く理解できるのですが…
その心のあり様はどうなのでしょうか?
家庭や会社での対人関係での不安や自らの心の虚しさを埋める為にその代替え品として、そうした物に群がってしまう心理的な弱さと言うもの…
そうした人の心理を逆手にとったビジネスとも言えるのではないでしょうか?
右に左に人を振り回し、出口の見えない消耗を続けさせ、不安を常にモチーフさせるそうしたやり方
信者を縛りにかけ、依存させてしまう新興宗教が取り沙汰される時がありますが…
これと、何の違いがあるのでしょうか?
まるで…子供の頃に友達とドッジボールをした時に内野に残る一人の子供を外野にいる子供が「ホラ、ホラこっちだよ~~!」と…
ボールの球をたらい回しにして、意地悪をしている風景に、似通うものがある様な気さえします。
私はヒーリングでも、リーディングでも見たまま、感じたままをお伝えしますが…
相手のエネルギーの状態を見て、時には相手のメンタルの上で負担にならない言葉を選ぶ様にしています。
それぞれが聖なる光りを宿したオンリーワンの存在であり、自らの足で立って歩いて行く事が本来の姿に違いありません。
その為のお手伝いや背中を押して上げる事は出来ても…それさえもかりそめの一時的なものに過ぎない様な気がするのです。
自分自身のライフスタイルやマインドがもたらす思考パターンに気づき、自分自身で改める決意をしない限り、果てしない堂々巡りをするだけではないでしょうか?
これより夕刻のお勤めです。
合掌
ヒーリングするSさんの元へ到着し、いざ!ヒーリングを始めたのですが…
この方の小宇宙でもある、オーラがなんとも重たく見受けられた私でした。
(((;゚д゚)))
私が施術している間も、延々と身体の不調や日頃の不平や不満が、この方の口をついてでます。
その内容も右に左に、あそこかと思えばここといった具合で…
焦点の定まらぬ支離滅裂な内容でもあり、Sさんの混乱した内面を投影しているかの様なその言動と言うもの…
普段であれば、私はヒーリングする時にクライアントの方に目を閉じて頂き、必要以上の会話をしない事によって、ヒーリングの周波をを体感して頂くのですが…
Sさんの場合は溜め込んだ不要なそれを吐き出させる事もヒーリングに必要な様で…好きな様に話しをさせておいたのです。
その内容というのも…医者にいけば、いったで、「あなたは長期の通院治療が必要です!」と言われたり…
霊能者まがいの方に縋れば、「あなたは、先祖の供養に問題があり、霊障の兆候が見られるので、そうした事から逃れたければ、長い間こちらに通われなければなりません!」と脅かされた事もあった様で…
この方には失礼な言い方になってしまいますが、不安としている事を読まれ、鴨がネギを背負ってきたとばかりに、しっかり依存する様に仕向けられているフシがあります。
(-.-;)
Sさんは、こうした状況からか、ご自分の身体の不調というものが、益々出口のない深刻なものとして、自身の中で実体化させているかの様に私には見受けられたのでした。
聞けば…内蔵疾患等とは違い、自転車に乗っている際の事故による関節の痛み…
私にはSさんが私に訴える痛みの症状よりも…何を頼りにして、何を柱にして生きて行ったらいいのか?という心の叫びと共に…
全く地に足の着いていないかの状態…「自分」と言うものが、身体の中におらず、人の言う事や集団心理や概念に影響や支配を受けやすい脆さを私はそのエネルギーから感じとっていました。
その事をSさんに誤解を招かない様に優しい言葉でお伝えすると…
「エッ」とそれまでの饒舌がピタリと止んでしまったのですが…笑
施術が終わり、Sさんの両肩に手を置き、「お疲れさまでした。」と声をかけると…
「私なにを考えていたんだろう?図星な事を言われて返す言葉がなかったんだけど…全くあなたの言う通りだわ…」と
施術前は高く上げる事の出来なかった左の腕を高々と上げて「ねえ!見て!見て!腕が上がるでしょうこの通り!!」と無邪気に喜ぶその姿を見ると…
その姿を見て私も素直に嬉しい気持ちになったものです。
そして施術の間、この方の高次の存在からのメッセージとも思える、Sさんが瞑想をするイメージを受け取っていたので…
自分自身を見失わない為にも朝夕、20分程度でも瞑想する事をお勧めさせて頂いたのでした。
お医者さんや、人のエネルギーの変容を促すヒーラーの言う事は、時にその人にとって良くも悪くも大きな影響をもたらす時があります。
お医者さんの世界の事は私にはわかりませんが…
ヒーリングや透視をする癒し手にとって、その人のエネルギーから感じ見えた事をそのまま伝える事はととも大切な事です。
しかしながら…
逆の言い方をすれば、力のある癒し手にとっては、人に不安要因を植え付け、こちらに依存させてしまうのも簡単な事なのかもしれません。
こうした事はお互いにとって、カルマを生み出してしまう事になりかねません!
『あの人の言う通り全て従ってきたのに、一向にに良くならないじゃないか!』
『いったいどうしてくれるんだ!?』と言う様な、抜き差しならぬドラマに発展しかねません。
思えば…人の不安を利用し、煽り立て利益を得ている商売の何と多い事でしょうか?
マルチ商法、健康食品や美容やダイエット商品等etc
中には良いものやすばらしい物もたくさんあります。
商品の説明も、事実に即した良心的なものを感じるものもあったりもします。
しかし…中にはあからさまに拝金主義のそれを感じるものもあり…
世の多くの女性が、美しくある事を願い美容やダイエットに興味を示すのは良く理解できるのですが…
その心のあり様はどうなのでしょうか?
家庭や会社での対人関係での不安や自らの心の虚しさを埋める為にその代替え品として、そうした物に群がってしまう心理的な弱さと言うもの…
そうした人の心理を逆手にとったビジネスとも言えるのではないでしょうか?
右に左に人を振り回し、出口の見えない消耗を続けさせ、不安を常にモチーフさせるそうしたやり方
信者を縛りにかけ、依存させてしまう新興宗教が取り沙汰される時がありますが…
これと、何の違いがあるのでしょうか?
まるで…子供の頃に友達とドッジボールをした時に内野に残る一人の子供を外野にいる子供が「ホラ、ホラこっちだよ~~!」と…
ボールの球をたらい回しにして、意地悪をしている風景に、似通うものがある様な気さえします。
私はヒーリングでも、リーディングでも見たまま、感じたままをお伝えしますが…
相手のエネルギーの状態を見て、時には相手のメンタルの上で負担にならない言葉を選ぶ様にしています。
それぞれが聖なる光りを宿したオンリーワンの存在であり、自らの足で立って歩いて行く事が本来の姿に違いありません。
その為のお手伝いや背中を押して上げる事は出来ても…それさえもかりそめの一時的なものに過ぎない様な気がするのです。
自分自身のライフスタイルやマインドがもたらす思考パターンに気づき、自分自身で改める決意をしない限り、果てしない堂々巡りをするだけではないでしょうか?
これより夕刻のお勤めです。
合掌
不安と依存のドッジボール①
先日、出張ヒーリングの依頼があり、上野まで行って来ました。
Sさんと云う女性の方に施術させて頂いたのですが…
連絡を貰った時から、電話の向こうで、乱れたエネルギーを感じます。
ヒーラーの方ならお分かりかも知れませんが…人の持つエネルギーや波動という微細な領域に敏感な癒し手にとっては…
ウッカリすると、対面でなく、電話の話しからでも、相手の負の想念やエネルギーの影響を受けてしまう事があるものです。
(((;゚д゚)))
勿論、相手の方に罪はないのですが、不安や恐れから逃れたい為に何かに縋り付きたいといった想いや…
他者や、また自分に対して『不当化』とも言える、怒りや憎しみなどの感情を溜め込んでいる方の発する言葉というものは…
時には聞き手のエネルギーを消耗させ、萎えさせてしまう時もあるものです。
例えば、友人のグチなどを聞いていて、聞いてるこちらがドット、疲れてしまう事や
電話で他者への不満や怒りをまくし立てる人の話しを聞いていて、こちらも何か言い様のない苛立ちを感じ…直後に、人と口論する様な事を引き起こしてしまったり…
何故かわからないが、電話の向こうの相手の声音のトーンに嫌なものを感じたり、首や肩に痛みを伴う凝りを感じたり…
電話を切り終えてからお腹に気持ちの悪い膨張感が残っている等
こうしたケース、もしくはこれに近い経験をされた事も案外多いのではないでしょうか?
これはホンの一例ですが、こうした場合など、相手のエネルギーの影響を受けてしまっている事が実に多いのです。
ヒーリングや霊的スキルの学びをしている人なら、その都度自分で、オーラやチャクラといった自分を取り巻くエネルギーの浄化も出来るかも知れませんが…
しかしながら…普通に社会生活を営み、会社の雇用や家族や会社での人間関係、経済的な不安やストレス等etc
そうしたものに晒され、普通に当たり前に生きる事さえ難しく不安に感じている多くの人にとっては…
自分のエネルギーが時に重く澱んだものになってしまうのはある面仕方のない事とさえ言えるのかも知れません。
もし、人それぞれをエネルギーと言うホログラムで見たならば…
それが今はまだ粗い原石の状態なのか?
磨き込まれてクリアな態なのか?
そのエネルギーの違いは気付きの進化の度合いとも比例し、歴然としてあるのかも知れません。
しかしながら、人間の魂に優劣はないと私は常々思っています。
皆等しく『神の子』であり、他者に違和するもの(価値観や考え方、性格等)を感じても『白黒つける』様な価値判断を出来るだけ避け…
例え賞賛は出来ずとも、相手の在り様を理解し、自分との違いを知る…必要以上の意味や価値判断をそこに見出ださない様にする事も時には大切だったりもします。
これらの事は、人の世を気楽に生きるひとつの有効な方便と言えるかも知れません。
人や物事をコントロールする事に血道をあげる事を手放す事で…それ以上の人間関係の確執や、不必要なドラマを省ける事がきっとあると思います。
『観察者』としてのスタンスや視点を養う事はとても大切な事ではないでしょうか…?
【つづく】
Sさんと云う女性の方に施術させて頂いたのですが…
連絡を貰った時から、電話の向こうで、乱れたエネルギーを感じます。
ヒーラーの方ならお分かりかも知れませんが…人の持つエネルギーや波動という微細な領域に敏感な癒し手にとっては…
ウッカリすると、対面でなく、電話の話しからでも、相手の負の想念やエネルギーの影響を受けてしまう事があるものです。
(((;゚д゚)))
勿論、相手の方に罪はないのですが、不安や恐れから逃れたい為に何かに縋り付きたいといった想いや…
他者や、また自分に対して『不当化』とも言える、怒りや憎しみなどの感情を溜め込んでいる方の発する言葉というものは…
時には聞き手のエネルギーを消耗させ、萎えさせてしまう時もあるものです。
例えば、友人のグチなどを聞いていて、聞いてるこちらがドット、疲れてしまう事や
電話で他者への不満や怒りをまくし立てる人の話しを聞いていて、こちらも何か言い様のない苛立ちを感じ…直後に、人と口論する様な事を引き起こしてしまったり…
何故かわからないが、電話の向こうの相手の声音のトーンに嫌なものを感じたり、首や肩に痛みを伴う凝りを感じたり…
電話を切り終えてからお腹に気持ちの悪い膨張感が残っている等
こうしたケース、もしくはこれに近い経験をされた事も案外多いのではないでしょうか?
これはホンの一例ですが、こうした場合など、相手のエネルギーの影響を受けてしまっている事が実に多いのです。
ヒーリングや霊的スキルの学びをしている人なら、その都度自分で、オーラやチャクラといった自分を取り巻くエネルギーの浄化も出来るかも知れませんが…
しかしながら…普通に社会生活を営み、会社の雇用や家族や会社での人間関係、経済的な不安やストレス等etc
そうしたものに晒され、普通に当たり前に生きる事さえ難しく不安に感じている多くの人にとっては…
自分のエネルギーが時に重く澱んだものになってしまうのはある面仕方のない事とさえ言えるのかも知れません。
もし、人それぞれをエネルギーと言うホログラムで見たならば…
それが今はまだ粗い原石の状態なのか?
磨き込まれてクリアな態なのか?
そのエネルギーの違いは気付きの進化の度合いとも比例し、歴然としてあるのかも知れません。
しかしながら、人間の魂に優劣はないと私は常々思っています。
皆等しく『神の子』であり、他者に違和するもの(価値観や考え方、性格等)を感じても『白黒つける』様な価値判断を出来るだけ避け…
例え賞賛は出来ずとも、相手の在り様を理解し、自分との違いを知る…必要以上の意味や価値判断をそこに見出ださない様にする事も時には大切だったりもします。
これらの事は、人の世を気楽に生きるひとつの有効な方便と言えるかも知れません。
人や物事をコントロールする事に血道をあげる事を手放す事で…それ以上の人間関係の確執や、不必要なドラマを省ける事がきっとあると思います。
『観察者』としてのスタンスや視点を養う事はとても大切な事ではないでしょうか…?
【つづく】
★今日28日は不動明王御縁日!
※不動明王立像
おはようございます!
朝一番のグラウンディング瞑想を終えて、熱いコーヒーを飲み一息ついています。
今日は大聖不動明王の御縁日
全国各地の密教寺院では、大護摩供が勤修され、多くの人が訪れるに違いありません。
不動霊場として名高い、成田山新勝寺ですが…
私も得度する前には良く訪れ、弘法大師空海が開眼せし不動明王御本尊に手を合わせたものでした。
さすが、お大師さまが(弘法大師・空海の事)開眼された御本尊だけの事もあってか…
お不動様の慈悲とパワー、霊験あらたかなものを感じる事のできるパワースポットでもあります。
そして成田山を訪れる多くの方の祈願成就に対する感謝の祈りと云うものが…
祈りの結晶体とでも言うべき…この地に清浄なエネルギーの磁場をつくり上げている様な気がします。
お不動様のもたらす効験とそれに対する多くの人々の感謝というものが…
相乗効果をもたらし、『感謝のあるところには感謝がもたらされる』といった様な…
ポジティブなエネルギーの循環さえ感じるのです。
こうした事も多くの人が成田山に詣でる一因を為しているのかも知れません。
自坊では護摩は焚かないので、もっぱら内護摩(自分の想いの中で護摩の炎を燃やす事、理護摩とも言います)による修法ですが、お不動さまの供養法を修していると、丹田や胸、身体が熱くなってきます。
先日ある方との話しの中で「大天使ミカエルと不動明王は同じではありませんか?」と言われる方がいました。
私も地方に行き、気の悪い場所で瞑想する時など、心の中で大天使ミカエルに呼びかける時があったりもしますが…
すると、部屋の空気の密度というものが、みるみる内に変わるのを肌で感じる時が、あったりもします。
神と言うものをエネルギーとして見るなら…なる程、大天使ミカエルと不動明王も剣や炎、そのパワフルな働きなど、似通うところも多いのかも知れませんね。
これより不動明王法を勤修いたします。
世界平和、日本国安泰と共に、読者の皆様の身体健全、心願成就を、お祈りさせて頂きます。
世界の生きとし生けるもの全てが幸せであります様に…
合掌