ずっぅっと書こうと思っててようやく書き始めてます。
前回の記事を見たら去年のこどもの日。。
驚きました。え!そんなに経ったの???

このブログを読んでくださる方はいらっしゃるのかしら。。
色々な方と仲良くさせて頂いたのに、不義理をしてしまい申し訳ないです。

かつては多くの方に愛でて頂いたぶんちょたちですが、昨年春に文ちゃんが逝った後、秋に点ちゃん、冬にあずたんが星になりました。
我が家のぶんちょは女子たちが全員いなくなり、杏仁銀次の男子チーム二羽になってしましました。





今まで応援して下さったみなさん、ありがとうございました。そしてごめんなさい。ぶんちょ総選挙をしていた頃が懐かしいですね。

杏ちゃん銀ちゃんは元気です。






2羽ともこの秋で7歳になりました。
銀ちゃんはあいかわらずのにぎり文鳥ですが、爪を切ろうと、危なくないようにつかんだ時と、放鳥中の二度ほど、けいれんなのか、動けなくなったことがありました。しばらくしたら元にのどったのですが、年齢的にも無理がきかず、しっかり観察していかないといけないなぁと思っています。

そして2020年の年の瀬
もうじき今年も終わりますね。
年始と今では生活ががらりと変わってしまいました。
全く予想できないことが起きるものですね。
こんなにもマスクが必需品になり、常に感染の恐怖と隣り合わせの毎日ですね。

コロナの影響は。。ムスコの大学の卒業式が無くなり、母の見舞いができなくなり、そしてそんなときに母の容体が悪化。
胃瘻で栄養をとっていたのですが戻すようになり、高熱が頻繁にでるようになって、おまけに食いしばる力が強すぎるのか、頻繁に顎が外れるようになって。。辛そうな状態になりました。
病院内はコロナ感染防止のために全館面会禁止になりましたが、担当の先生のご厚意で、特別に週一回わたしのみ面会させてもらいました。
一度仕事中に危篤状態になって呼び出され、その時は先生の処置のおかげで持ち直しましたが、結局5月に亡くなりました。
ムスメやムスコは最後まで見舞いの許可が下りず、無念だったようです。
兄は亡くなる三日前に大阪から車で帰省することを条件に、ほんの少しだけ面会させてもらいました。

自分のルーツがいなくなるって寂しいものですね。
もっとあんなこともこんなことも聞いとけばよかったなぁとか、会話しておけばよかったなぁとかいろいろ思います。
私が母を頼りにしていたように、これからは子供たちにとって私がそういう存在にならないとって思いますし、自分の身の振り方を考えるようになりました。

ありがたいことに、ムスコが大学を卒業して広島で仕事に就いたので、今年から家に帰ってきて、二人の暮らしになりました。
食事の用意やお弁当作りなど、一人でいるよりは手間はかかりますが、話し相手がいる生活はひとりよりも百倍良いですね。
母は自分が逝っても私が寂しくないように、ムスコが帰ってくるのを待ってくれていたのかもしれません。
いろんな意味で母はとても大きな存在だったので、兄と友に母の遺骨をしまったアクセサリーを身に着けています。

いずれムスコも結婚して家を出るでしょうし、また私はひとりになるでしょうし、いつまで働くのか?どこに住むのか?など、将来のことを考えると不安になることが多いですが、一日一日一生懸命生きるしかないかなぁと思います。

なかなかじっくり文章書く時間も持てないのですが、こうやって改めて気持ちを綴るはいいですね。

時々ブログ更新していくのを来年の目標の一つにしようと思います。

読んでくださった方がいらっしゃったら、ありがとうございます。

みなさまにとって新年が少しでも明るい年になりますように。