長編お話「鬼子のヒオリ」の25 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

その日、
私は学校にいてずっと自分の右手を見ていた。
時々開いたり閉じたりしてみた。左手のひとさしゆびで、
日、織
と書いてみたりした。難しかったけど。そしてぐっと、握りしめた。

私が、体育の時間だろうが生活の時間だろうが自分の手ばかり見つめてぶらぶらしていても、誰も何も言わない。
誰も、の中には先生も入っている。

時々私は不思議になる。例えば私が食べる給食のお金は誰が払っているんだろう。
算数ドリルとか、漢字ドリルを買うお金は?

私はおかあさんやおじいちゃんが働いているとは思えないのだ。
いつもふらふら何処かに行っていて、たまに家に居ると不機嫌にお酒を飲んでいる、おじいちゃんは。

このきょうざめな鬼子め

おじいちゃんは私を見るといつもそう言う。で、そう言うとき私はいつも、向こうのお山で
ぐがうあああお、
と三郎彦が遠吠えするのを聞く気がする。あくまで気がするだけだけど。私は不思議と、三郎彦の事だけ特によく分かるのだ。みいちゃんよりも、稲兄さんよりも。
ずっと子供のころから一緒にいるからだろうか。

と、
言うわけで、その日私は学校にいて、間崎さんが教えてくれた身をまもる方法の練習をしていた。

自分のアイデンティティーは侵されない。

それを自覚するんだ。

意味がよく飲み込めなかった。
とにかく自分の大切なものを握りしめていれば自分を守る事が出来るらしい。
私はまたぐっと右手を握る。なんの変化も感じない。
自分を守れている気がしない。

そうか、私は自分が危険な状態ってのを知らないから。
ふと、思い至った。私には敵が居ないんだ。攻撃してくる相手が居ない。

私にはアイデンティティーを侵してくる相手が居ない

だから身を守ると言ってもぴんとこないのだ。
私は椅子に座ったまま溜息をついた。なんだかなあ。

こんなことで本当におとうさんにあいに行けるんだろうか。
自信が無かった。全く無かった。

でもおとうさんに会って終わりたいと言う思いは私の中で相変わらず強かった。