残日録、始めます。 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

今年でいよいよ41になる。

去年、2021年という時間を使ってよくよく覚悟を決めてみましたが、結論は、

「これから先、少なくとも自分の魂と肉体に関わることだけは、良くなるということは一切なく悪くなっていく一方だ。より平たく言うと寿命の消耗が始まるんだ。若さは枯れて残りの人生はただ老いるだけになる。なら、その最悪の時代を私はどう生きていくだろうか。何をしていくべきだろうか。

 

あと20年。30年はない。あと20年だ、私の人生は。

 

ならば、

 

死ぬ子どもの数を一人でも減らそう

 

40歳であった去年1年間、悪あがきをしてみましたが、どうしようもなかったです。

 

私の人生は、少なくとも成年時代は、終わった。これからは躯になる瞬間にむかってまっしぐら。加速することはあっても逆流することはない。

 

というわけで、ここから先は残日録です。死のその日までのカウントダウンです。

 

残り20余年の人生。それだけの時間を使って、何が出来るだろうか。というかなにがしたいだろうか。

 

まず、小説は、書こう。なんで? そりゃあ、書けるから。おもしろいとか売れるとかを度外視すれば、私はまず十分小説できる。できることはする。やりたくないわけじゃなことは、嫌わず、行う。

 

それから、言われて書く仕事以外に、自分で書きたいことを買いてお金を稼ごう。何がしかの情報やポイント解釈を必要としているひとが群れているのがこの世界。私が書きたいテーマにおいても、きっと誰か意に沿う物ができるはず。

 

で、何を書いていこうと思ったとき。

死んでいく子どもの数を減らしたい、と思いました。

 

なぜか? 言語のために。

 

別に私が頑張らなくても、後1000年もすれば(700年かな?)日本人はめでたく絶滅してしまう。合理的思考の持ち主である夫にしてみると、

“近縁種であるモンゴル人とか台湾人が生き残っていれば生態学的に問題ない”

とのことですが、それでもやっぱり、違うのです、私には。

 

日本語。この複雑怪奇で美麗な言語のニュアンスを正確に理解するには、よその大地でよその肉と野菜を食べてかっこいい発音の言語で育った人には、どうしても無理。正確な翻訳も、無理、限界がある。

 

ま、そうはいっても、どうあがいてももうジャパニーズネイティブ絶滅は免れません。でも悪あがきはしなくては。

 

ほんの数年でもいい、ほんの数人でいい。

日本語の生存のために、今死にそうな子どもを一人でも死なせないようにする。

 

さて、そのために何ができて、何をすべきなのか、これを模索する。

残日録です。