今日の残日録・1億総懲役は無理。でもやらなきゃ。 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

安部公房の「棒になった男」だったと思うのですが、

(高校の時国語の教科書に小説として載っていたのに、今調べたら戯曲だった。ストーリーは合致しているから同じ作品だと思うけど、作者本人によってノベライズされたのかな??)

 

“今日警察官が駐車違反を取り締まらなくなったように、もう三角形について誰も研究しなくなったのだ”

 

と、こんなようなフレーズが出てきます。ありふれた問題だから(三角形)誰でもやっていることだから(駐車違反)みんな気にしなくなってしまった。

つまりいじめもそう、だと思います。

 

“汝らの中に罪を犯していないものがいたらこの女に石を投げよ”

という言葉にも表現されていて、

 

“汝らの中に一回もいじめをしたことのないものがいたら、このいじめっ子に石を投げよ”

 

というルールになってしまっている。いじめというのは、あまりにもありふれて普遍的な問題になってしまって、だれも見向きもしない。その影に、確実に死んでいく子ども(12歳や13歳ですよ)がいる。

 

いじめっ子とその親を全員刑務所にいれたらどうなる?

1億総懲役社会の出来上がりです。

でも、長い目で見たら日本人は絶滅するし、少なくとも社会実験として10年、これをやってみたらいいと今日は考えました。

 

悪口、陰口、冷やかし、このどれかを一回でもいったことがある小中学生とその親を、10年、どこかの工場で時給100円で1日10時間働かせたら、経済の起爆剤にさえなるかもしれない。経営者の悩みのためは常に人件費ですからね。船とか飛行機を作るような、大きな工場がいい。

 

これは何も日本に限ったことじゃなくて、とりあえず全世界で一斉に10年間、差別といじめを実践した人を国の権限で問答無用の低賃金労働させればいい。差別だっていじめだってどこの国でもやってる

(共産主義の国だったら、もう実践されているのかな。それで効果が出てないのだったら、もうちょっと考えた方が良いよ、為政者のひと)

 

ただそんな10年は絶対にやってこない。

いじめは、三角形の問題で駐車違反だから、だれでもやっているありふれたことだから、すべての人を罰するには人が足らない。だから人口の1割くらいのまだましな人によって、

「考えないことにしよう」

つまり、無視、という量刑がなされているわけです。

 

そして、私はいかれた精神障害者でもって、健常者=人口の枠から転げ出ているものですかが、いくらでも面白おかしく、1億の人に憎悪を燃やせるわけ。

 

何かを変えたいときに暴力はいけない。いけない理由はいろいろあるけど効率が悪いというのが一番。

 

創作とかフィクションがまだマシかも知れない、私も慣れているし。

 

あなたが今誰かに意地悪をしていたら(そのだれかはすごく意地悪なひとかもしれないけど)

私はあなたを許さないし、あなたを題材にしてすごく嫌な物語を編んでしまえる。

 

意外となにかを変えられるのは、あたまの狂った人間なのかもしれないね、と思う、今。