私小説『流産』 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

やっと一番しっくり来る表現にたどり着けた。と、言って、私がそのことを割りきるとか忘れるとか諦める、などとした行いから遠方なことは、変わらない。

最後の県大会が終わった瞬間に、いわば彼は流産になったのだ。関係性という、バスケットボールと彼を繋いでいたへその緒が、たたっ伐られたのだった。この二月それにずっと不満でいたのだが(自分の心理なり神経なりを、かちっと言葉の枠に納められないのは、私にすれば遺憾だし単純にいらいらして、いっそ不安だ)、やっとのことでこの単語にたどり着いたらのである。

少なくとも人間の50%は私を理解しないから、読むのを辞めていただきたい。胎内でへその緒がぶっちり切れる感触を、男性に語りたくないもんで。

最後の大会に臨む時点で、彼が進学してまでバスケットボールを続けるつもりが無いことを、私は気づいていなくてはいけなかった。

否、気づいていないという状態は赦されなかった、それは解っていた。だから、私はあるいはこの大会が彼と彼に紐付けられたスポーツとの最期の関係性になるはずだと、知っていた。解っていることをわからないふりするのは、人の脳の特技なので、それに頼ったんだな。

鉈かなにかで、あくまで暴力的にたたっ切った奴がいる。

他の彼らには、進学してバスケットボール部に入るなり、県選抜を目指すなり、クラブチームに入るなり道があったし今もある。

彼にだけは、息子にだけは最初から選択肢がなかったのだ。勝つか負けるかだけだった。なぜ彼が自分で『自分』という駒を、スポーツというフィールドの斯くなるポイントに置いたのか。

それは、きっと彼が誰にも語らないことなので(そのうち、かの不滅の若さは砕け散り、有限の性に目覚める時が来るので、そこで誰かに語りうる、かもしれない)、私は問いたださない。

ただ、命からがらだったろう。へその緒だよ。しがらみなんてもんじゃない。へばりついてたんだ。それを叩き伐ったやつがいるんだ。

それは誰だ、駒としてあつかった奴か、駒であるを然りとした奴らか。どっちみち、そこを深く考えずにフィールドに押し出した私が断然悪いのだ。

だから、私は、彼とバスケットボールの三年間に、心からの羞恥を告解する。

ばーか。