死にそうな思いも何度かしたし、すんでのところで死ぬ、という体験もしたし、何より長い時間を掛けて
しにたいなー
しにたいなー
いきるのいやだなー
と思っていたのに41歳になっています。
残念ながら私の生命はしぶといと見える。運によるものか根性によるものか本能によるものなのか、ぎりぎりのタイミングで死の入り口を交わしてきた人生だった。
これは、もう
生きるべくして与えられた命だと、諦めるべきだ。
「人」としては、どうだか知らないけど、人間の醜さはたくさん見てきました。41年掛けて醜いところをたくさん見たので、これらから先もたくさん見ることでしょう。
人間の愚かしさもたくさん見ました。バカバカしさとか理解不能な面もたくさん見ました。(41年生きたから、圧倒的な量とは言えなくても、たくさん、という表現を使っていいはずだ)
30年くらいまえは人間にいろいろ期待していた。勤勉になるとか真面目になるとか真剣になるとか。
人、人、人と個人単位で見れば、それは真剣で真面目で聡明な人は大勢いたけど、感想としてやっぱり人間は怠惰で使い勝手の悪い俗物だ。
それでも私は死ななかった。絶望的な瞬間が釣り鐘みたいに落ちてきても、それで私の息の根は止まらなかった。
諦めよう、諦めよう。
人間の行いはくだらなくて見にくくて、気分の悪いものだけど、
そいつでは私を殺せない。私が死ぬ理由に、ならなかったじゃないか。人間に殺されなかった以上、神に殺されるその日まで粘るしかない。
身一つに宿った命が私を活かした。
よってこの先、生きられるだけ生きる義務が発生してしまったのです。