掌説「独房」 | 文学ing

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森本湧水(モリモトイズミ)の小説ブログです。

私は自分の魂とふたりきりで、一人分の独房に打ち込まれた。運命(看守)は、「どちらかがどちらかを裏切ったら出してやる」(どちらかひとりだけを)と、言った。それで困っている。

私と魂は、お互いが困っているのを知っているので、もう話すことがない。もし、魂が私を裏切ったとしよう、私ひとりは外に出ることができる。

しかし、魂を失った人間が人間成り立ったという話は聞かない。私も自分がその最初の一人に成れないし、なるつもりもない。仮に、裏切った魂を独房に残したままで外に出たら、もうそれは私ではない。

なんだか知らない、誰だか分からないモノになっているだろう。もちろん、人間でも人でも無いモノであるだろう。そんなものが野に放たれて、ろくなことは起こらない、絶対に。ろくなことができたとしても、それは私ではない。私の魂をなくした、私の顔を持った何かなのだ。私でない何かのすることに対して、私が興味を持つことはないだろう。

それでは、私が魂を裏切ったらどうするだろうか。魂は私を独房に残したまま、一人で放り出されることになる。しかし、客体である私の居ない魂はどうやって存在することができる? 私を取り除いたらだれも彼を認知することができないのだ。

とはいえ、このまま独房に膝と膝と突き合わせていたら、間違いなくふたりとも死ぬのである。今私達は待ったなしで、外に出る方法も無ければ生き延びる方法もない。

言い換えるなら、外に出られてもこのままここに居座っても、現実に何も変化は起こらない。虚しい私の人生がここで終わってしまうか、なにかをごまかして更に虚しく人生を続けるか。それだけの違い。それだけの違いのために、私は自分の死、魂の死、もろともの死の三択を選ばされている。なにか一つ失うことが全部を失うことになるのだから、随分ふざけた事態になってしまったと思う。

実は、選択肢はもう一つある。

私と魂とふたりして大暴れして、独房をぶち壊してやることである。それが無理なら、運命(看守)が看過していられないくらい、このせっまい独房の中で二人してやりたい放題してやることである。

歌を歌ってみようか。ものすごく気味の悪いやつを。不愉快なやつを。耐えられないくらいのやつを。

ふたりして独房の壁に体当たりして死のうか。血でべとべとになって、拭いてもきれいにならないくらいにして、焼いてももものすごい臭い、廃品回収業者も逃げ出す代物に成り果てて、運命(看守)がほとほといやんなるようにしてやろうか。

そう、私と魂はもはや死ぬまで嫌がらせをし続けるしか無い。だって、独房に放り込まれるような悪事を働いたからだ。そして、運命(看守)にとっても、生存の権利を与えないわけに行かなかったからだ。

というわけで、私と魂は今お互いを交互に掴んで、独房の壁にぶつけ合っている。かなり痛いし、くらくらする行いだけど、他に選択肢がない。

私と魂は、二人がかりで独房の壁を壊そうとする。運命とはそもそもぶっこわすもんなのだ。仕方がない。

しかるのちに、非常に快適な、こころおどる末期を見ようとしている。そこにあるのは私の死体と、彼の幽霊。