目が覚めると半開きになったカーテンの間から、ズキンと痛む私の眼球を突き刺すようなムカつく陽射しが差し込んでいた。 とっくに、お昼は過ぎたであろう外の雰囲気に、夕べの飲み会を今になって恨めしく思う。
 
『これで折角の休みが、また台無しになった…。』
 
飲み会の翌日は毎回悔やんではみるが、同僚との付き合いや上司との気の重いディスカッションは邪険にはできない。 なんで、こう私の会社には毎月何度も、ばかみたいな飲み会などがあるのだろうか。
『グループディスカッション』という名目で、毎回それは行われる。安っぽい居酒屋で、いったい何をディスカッションするというのか…。 毎回話す事といったら、時事談と猥談。
まったく、これに尽きる。
これじゃ、茨城に住んでいる父方の叔父に電話で『茨城なまり』を1時間弱聞かされる方が、まだマシだと思える。『茨城なまり』は何十年経っても、未だに聞き取り不可能な作業だが…。
だから叔父との週一の電話は、私の中で「ワースト1位」に匹敵する程の行為であった。
 しかし、今の会社に入社して飲み会に出席するようになってからは…、ムカつく事ワースト1位と2位の順位が逆転した。
上には上があるものだ・・・。
 
ちなみに3位は・・・ 母の、「35までには行ってちょうだいよ!」と夕飯時になると必ず出てくる結婚話。
最近では私の目を見もせず、プレートの上の肉を焼きながら器用に喋り続ける。
差し当たって… 焼き肉と私の結婚話は、母にとって同じ次元の問題らしい。どちらも手慣れた儀式のようになっている。
しかし言われることには馴れているものの、やはり気持ちのいい話ではない。何年も前から言われ続けていると、
そのうち私の自律神経にも知恵がついてきた。母親の結婚話が聞こえないように、食事中は頭の中に大好きな中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」が流れるようになった。 … なったというか、そうせざるを得ない身体になってしまったようだ。
この曲が私の頭の中を三回まわる頃には、母からのムカつく話は終わりを告げる。
時には違う曲を… とも思うが、この「飾りじゃないのよ涙は」が一番私を "HIGH"にしてくれる。
 
あぁ…、 来年の夏には私は35。 アラサーから抜け出し、アラフォーへとステップアップ?
毎度、母から聞かされている結婚話のタイムリミットは… 間近に迫っていた。
 
 
                     ~次回へ続く~