「ああ! 家のありがたさは、それがぼくらを宿し、ぼくらを暖めてくれるためでもなければ、またその壁がぼくらの所有だからでもなく、いつか知らないあいだに、ぼくらの心の中に、おびただしいやさしい気持を蓄積しておいてくれるがためだ。人の心の底に、泉の水のように夢を生み出してくれる、あの人知れぬ塊を作ってくれるがためなのだ。」サン・テグジュペリ『人間の土地』


* * *


エルサレムから、家屋破壊のニュースが届く。
自分の家が建っていた場所が突然「建設禁止区域」やら「国立公園」やらになって、
ある日突然ブルドーザーが来て、家をすべて壊し更地にしていく、
ということが何故か起こるのがこの地域だ。

壊されるのは、例外なくアラブ人のお家で、
壊すのは、例外なくイスラエル当局で。
残念ながら、目を付けられてしまったらほぼ回避ができない。
裁判所に訴えようが、裁判の前に業者が無理矢理家を壊してしまうし、
裁判所が違法という判決を下したって、結局壊されてしまう。


「どうして家を壊すのか」というのは高度に政治的なお話で、
ブログ記事で書くなら数本を要すだろうけれど、

家を壊されたひとの心がどうなるのか、ということは
サン・テグジュペリの言葉が示唆してくれるような気がする。




そんなことされたら、「共生」なんて大きな夢を描くエネルギーは
心の中から消え去ってしまうだろう。

外野の私達は、「どうして紛争は終わらないの?」と呑気なことを言う。
暮らしをめちゃくちゃにされたことの無い私達は、
十分守られて、「泉」を持つ余裕があるのだろう。


「どうして紛争は終わらないの?」という問いができることは、
安らげる家があって、家族がいて、温かさにくるまれていて、
初めて言えることなのかもしれない。
まるで空気のように、ある者から見たら贅沢な、
安心に包まれている証拠なのかもしれない。