アイス・バケット・チャレンジについて、
最近遅まきながら知った乳児の母です、こんにちは。
チャリティ方面のアンテナが鈍っている…。

数多くのセレブや有名人を巻き込みながら、
賛否両論を巻き起こしているようで、
私が人から意見を問われたらどう答えるか、というのを考えておりました。

現時点での結論は、
「いいと思う」。
ALSについて知ってもらうこと自体がすごいことだと思う。
このキャンペーンがなければALSを知らなかったヨ、ってひとが
多分たくさんいる。
ゴールデンタイムのニュースで取り上げられて、
小学生からお年寄りまでの耳目に入っているだろうし。
例え学校でALSについて教わっても、きっと右から左だっただろう。

このキャンペーンは多分、「知って、考えてもらうこと」自体に大きな意義がある。
自分にバトンが回ってきて、
「さてどうする? 氷水を被る程、自分にとって関係の深い問題だろうか?
元々深くなかったとしても、今どうだろうか?
寄付をしたいと思うだろうか? どうだろう?」
等々と考えることに意味がある(世間体を考えることもあるだろうけど)。
全くの「他人事」が、ほんの少しだけ「自分事」の土俵に乗っかる瞬間ができるから。

そして、考えた人が、未来のある日突然、何かのきっかけで当事者に出会ったとする。
そこでスルーするか引っかかるか、という分岐が発生するだろうけれど、
このキャンペーンでALSの名前を知っている、
もしくは何らかの行動を起こした(パスしたことも含めて)ことで、
恐らく後者になる可能性が少し高くなるんじゃないだろうか。


*  *  *

その他、主要な反論について私なりに現時点の意見をメモしておく。

1)選択肢が3つしか無いのが理不尽だ。
縛りをかけるからこそゲームが面白いのと同じように、
縛りがあるからこそ、盛り上がったんじゃないかなぁ。
それにプログラム仕立てじゃない「人間」を媒介にする以上、
選択肢は3つしか無いように見えて、実は無限なんじゃない?
考えて、4つめの選択肢を創ればいいし、嫌なら放り投げればいい。
チェーンメールを受け取った時と同じように。
自分の健康状態と天秤にかけるのも、もちろん自分でやるべきだと思う。
国家権力に強制されているわけじゃないんだから。

2)寄付がどう使われるのか分からない。情報が足りない。
ALS関連の団体は海外から国内まで幾つもある訳だから、
納得の行く団体を選べばいいんじゃないだろうか。
情報は取りに行けばいいし、無い・けど欲しい、なら求め続けていい。
営利だろうが非営利だろうが、同じシビアさで求めていいし、
使われる先を見届けるために監視し続けていいと思う。
面倒かもしれないけれど、寄付者、団体側、双方のために。
で、納得がいく情報が出てきた時点で寄付、というのもアリだと思う。
(でもどうせ、皆そこまではしないんだろうね…。)
ちなみにJALSAには1,550万円が集まったらしい。すごい。

3)国によっては難病指定されていて支援を受けているのに、更に寄付?
これは、「マジョリティ」「強者」が言ってはいけない言葉じゃないだろうか。
自分の傲慢さや無知さをひけらかすだけの言葉だと思う。
言うなら、複数の当事者に意見を聞き、状況を彼らの視点から認識して咀嚼し、
自分なりの考えを深めてから、にしたらどうだろう。

私達「マジョリティ」が創る社会は、本当に彼らに対して公正なんだろうか。
お金だけ出して「底上げ」した気分になってないだろうか。
弱者一人一人の人生の質を、マジョリティのそれと同じくらいに引き上げただろうか。
それを問う人々が、
ALSだろうがどの難病だろうが障害だろうが貧困だろうが、同じように居て欲しいなと思う。

4)死人が出たね…。
うん、これはとても残念だと思う…。
命が失われたこと自体も、そしてキャンペーンにとっても。
語学力も土地勘も実地経験も無いのにいきなりシリアに行く邦人がいたことと同じ位
予想のナナメ上であるような気がする。
亡くなった方のご冥福と、周りの方がじきに心の平安を取り戻されるように祈ります。
命を失うに値する啓発キャンペーンなんてものはこの世にないはず。


*  *  *

関連として、ガザで「がれきバケツ」を被ったニュースがあった。
(以下、ニュースリンク)


常にシュールなジョークが溢れるパレスチナらしくって、
ちょっと笑ってしまった。笑
ガザにはかぶる水も氷を作る電気も無いそうです。


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