先日、友人に出産について訊かれたものの、
バタバタしていてきちんと答えられず少々引っかかっていたので、
ここに排出しておこうと思います。
(子どもがいると話題と時間は全て子どもに持って行かれるのだなぁ。)
全くもって、書くことは精神的な排泄行為ですな。

* * *

「陣痛、どうだった?」「産むの、大変だった?」
と訊かれれば、
「痛かったことは忘れた」
「この調子ならあと2、3人は産めそうな気がする笑」

というのが正直な回答になると思う。
つわりで仕事が回らなくなった時期が一番辛かった(精神的にも)。
子どもを産むのが激痛を伴う武勇伝のように語られる中、
自分の経験をどう話したものか、いつも悩む。


確かに、陣痛は怖かった。そして結局、痛かった。
でも、終わった後に疲労困憊で動けなくなるほどのものではなかった。
あと、予想外に気持ち良かった。

私は痛みには強い方なので(ポーカーフェイスで我慢強いだけなのだが)、
「陣痛は鼻の穴からスイカを出すような痛みだ」という言われように
「やばい、私の自制心をもってしても耐え切れない痛みってどんなだ…」
「我を失いたくない」

と内心思っていた。
一方で、薬を使って無痛分娩することには抵抗があった。
子どもが頑張って出てくるのだから、私もある程度頑張りたかった。

それから、旦那がうつ病を患っている関係で、
産後の自分が大イベントでヘトヘトになって憔悴し切っている、
という事態は絶対に避けたかった。
旦那が倒れていても、自力で物事を進められるエネルギーを取っておきたかった。


という訳で、色々調べた結果、「ソフロロジー」で産むことにした。
ソフロロジーは、簡単に言えば
「ヨガの呼吸と自己暗示で、陣痛をポジティブに捉えて産む」
というような方式だと思う。
実家のそこそこ近くに、ソフロロジーの総本山みたいな病院があったことも後押しになった。
ソフロロジー、という単語を出産直前まで正確に覚えられなかったことは
もう時効ということで許していただきたい。
(どうしてもリフレクソロジーと混同してしまう)


以下、出産の顛末。

* * *

陣痛は、7月2日のAM2時くらいに始まった。
10分おきに、50秒くらい、お腹を壊したのを強くしたような痛みの波。
ソフロロジーはとにかく呼吸と精神統一がキモなので、
痛みがくる50秒の間はとにかく細く長く息を吐いて体に酸素を送り、
痛みと痛みの間は寝るくらいリラックスして過ごす、というのを徹底した。
それから、この痛みは子どもが出てくるためのエネルギーになるんだ、と
自分を納得させることに徹した。
この2つは子どもが出てくる時までずっと続けた。

ちなみにこの時点では、
まだ余裕だ、と思ってパソコンを開き、各所に「多分入院します」とメール連絡。
いくら日本でも万が一があっては困るので、重要ファイルを転送したりした。
正直、「なんだ、こんなもんだったのか陣痛の始まりって…」と思ってもいた。

母に起きてもらって、AM6時半くらいに、電車を2本乗り継いで病院へ向かった。
ちなみに通勤ラッシュで、2本目は優先席の前に立っての10分。
後日友人にその話をしたら
「”陣痛中”ってタスキでもかけたら良かったねw」と言われて笑った。
まさか目の前に立っている妊婦が陣痛真っ最中だなんて、
優先席で薄目を開けたり携帯電話をいじったりしてた人たちは思わなかっただろうなぁ。


で、病院に到着したものの、やはり表情が余裕過ぎるということで
家に返されそうになった。
が、暫く病院のベッドで休ませてもらった後、AM11時頃にもう一度診察。
「あー、子宮口開いてきてるね」ということで入院と相成った。


病院のベッドで最初にしたことは、とにかく食べることだった。
出産はエネルギーを使うと聞いていたので、無差別に食べまくった。
旦那が色々と買い込んできてくれており、
サンドイッチもおにぎりもチョコもいちごミルクも摂取した。
濃いブラウニーを食べられたことはちょっと幸せだった。笑
あとは寝ていた。


夕飯の時間になる頃には痛みは3-5分間隔になっていて、
ひたすら呼吸して、痛みの合間に相変わらず睡眠をむさぼっていた。
夕飯に出てきたサンドイッチもむさぼった。完食。
母妹がお見舞いに来て、病室で談笑していたけれども眠過ぎて内容を覚えていない。
でも私はきちんと会話を返していたらしい。私の無意識すごい。


20時に内診。
「陣痛の間隔は短いけど、まだ弱いね~」と助産師さん。
「本当の陣痛は耐えられないくらい、喋れなくなるくらいなんだよ~。
 こんだけ余裕じゃ、明日のお昼前くらいじゃないかな~産まれるの~」ってことで
付き添いの旦那は家に返されそうになった。
私も、「駅前のホテルとか、ちゃんとしたところで寝たら?」と勧めた。
が、彼は意地でも踏みとどまった。結果的にはこれが大正解だった。旦那偉い。


日付が変わって0時、今までと違う感覚で目が覚める。
これまでは会話ができていたのに、今度のは口の動きを全て呼吸に使いたくなる痛み。
こ、これなのか本当の陣痛は…でもまだまだかもしれない…まだ私耐えられるし…
と思って、遠慮してナースコールを押さなかった。
とりあえず旦那も可哀想なので起こさず、一人でベッドの端に座ってみた。
この時点で痛みは2分弱間隔。
が、見回りにきてくれた助産師さんに内診されたところ、分娩室に即連行。
「次からは素直にナースコールを押してみよう」と思った。(次っていつやねん)


分娩室では、ひたすら1分間隔になった痛み、というかエネルギーに耐えていた。一人で。
1分ごとに50秒、体がずーんと重く熱くなり、意思とは別に、勝手にお腹に力が入った。
そして痛みは背中に来た。ここは正直メリメリと痛かった。
というわけで、一人でイスみたいなのに座って、ひたすら細く長く呼吸をしながら
痛みが来た時に自分の背中を強くさすっていた。合間はやっぱり寝ていた。
助産師さんに聞いたところ、背骨の根元を子どもが通ってきているが故の痛みらしかった。
子どもを産む時はこんなところが痛くなるのかー。びっくりである。


AM2時頃、分娩台になるベッドによじ上って、横になった。
「赤ちゃんはそう簡単には産まれないから大丈夫よ~」と一言かけられ、
それまで寝ていた旦那が連れてこられる。一人が二人になった。
彼は手を握ろうとしてくれるものの、「ベッドのバーの方が心強い」と拒否する私。
「私がバーを握っている時に背中を強く押して、そうじゃない時は触らないで、寝るから」
と訴えたらその通りにしてくれた。指紋が消える程さすってくれたらしい。


そうこうしているうちに、足の間に丸いものがボコッと出ては引っ込む感覚が。
頭? 頭なの??
でもプロが簡単には産まれないっていうし、違うかも…。
と悩み、もうちょっと我慢しようと思ったそのとき、丸いものが引っ込まなくなった。
ここで一念発起してナースコールを押した。やっと押した。
「あの、頭、出てるっぽいです!」


慌てて駆けつける助産師さん。
ベッドを分娩台の形に組み立ててもらって、体勢を立て直した私。
「いきまなくていいからね~」「っていうか力抜いて! もう出てる!」
「うう、体が勝手に動くんですけど!」
というやり取りの末、直後に産声が聞こえた。
7月3日、AM2:49だった。


そして、私の体に訪れた爽快感といったら、
人生で経験したことのないようなものだった。これも驚いた。
これを味わうためならあと2人くらい産んでもいいなぁ。
(でも会陰は切れた。これも恐怖だったけど案外痛くなかった)



(出産直後の娘のヌード。娘よごめん。
 そしてこの写真は可愛過ぎて私の宝物であります)



ちなみに分娩後、病室に戻って私が真っ先にしたことは
上半身を起こして産前に食べ損ねたプリン・アラモードを食べることだった。(再び食い意地)
各所にメールを打ち、更に朝ご飯も完食して、一人でトイレ行って、ひたすら寝て、
夕方の面会時間の頃には一人でスイスイ歩き、階段も上り下りした。
「無理するとあとでガクッとくるよ!」と言われたものの、寝ている方が暇だった。
(産後3週間目に一度高熱を出したものの、今のところそこまでガクッとはきていないつもり。
 更年期にくるのかしら? ま、その時はその時。)


* * *


こんな感じだったので、もし同じように産めるのであれば
あと2人くらいは行けそうな気がするのです。
産院でのケアも、大変癒されました。これは母からのプレゼントなので感謝。
大変なのは、やっぱり子育てなんだな~。


チラシの裏に書いとけよ、みたいな長い記事でしたが、
誰かの参考にでもなれば幸いです。