最近「論理で理解することと本能が納得することは全く別物」というのを
ひしひし感じているナミキです、こんにちは。
職場にも復帰しまして1ヶ月、心も体も慌ただしい日々を過ごしています。
たまに無性に悲しくなってぶわぁ~~っと涙が出ることが。。。ひえ~。

さて、先日JIM-NETさんのイベントにお邪魔してきました!

【10/30】アラビアレストランで 「バグダッドのパレスチナ人に聞く」


某Sさんに「アブー・サイードを囲む会をしましょうよ~」と言われて
「いいですね!マンサフ食べたいです(´▽`)ノ」的なお返事をしたら
いつの間にかイベントになっていて、「聞き手」に名前が挙がっていた。
しまった!と思った。笑



このイベント、本当に興味深かったです。勉強になりました。


このイベントは、還暦を迎えたアブー・サイードおじさんが、
バグダッドで生きるパレスチナ人としての人生を語りまくる会。
そこに、JIM-NETの佐藤さんや村田さん、僭越ながら私が
ちょいちょいコメントを挟んでいきました。
(先輩・Nさんの通訳に脱帽。本当にお疲れさまでした…)


おじさんは1953年バグダッド生まれ。
当時のイラクは王朝は共和制に変わるわ、クーデターは起こるわ…の激動時代で、
アブー・サイード(本名忘れた)氏も幼少時代には
王家の人々が処刑されて市中を引き回されるシーンまで見たらしい。

イラクだけじゃなく、この時代は中東全体が戦争続き。
60年代後半にはパレスチナ人の解放運動が起こり、
当時ピチピチの17歳だった彼も参加しようと越境してヨルダンにわたったものの
怖じ気づいて一発の銃弾も撃たないまま、しかも靴をなくして数日で出戻り。
帰ったら帰ったで、パパの大目玉を食らって部屋から出してもらえなかったらしい。
「私は一発も弾を撃ったことなんてないからな!
 銃の扱いも、すっかり忘れてしもうたわ」
(どーん)と胸を張って宣言。笑 
「あぁ、こんな”解放戦士”もいたんだなぁ…」と微笑ましくなりました。
戦火の下にいる人たちが皆勇猛かといえば、そうじゃないんだ。当たり前だけど。


そんなほっこり(?)エピソードとは裏腹に、
今のイラクのパレスチナ人の暮らしは本当に厳しいらしい。


2003年にサッダーム・フセイン政権が倒れる前は、
イラクのパレスチナ人はずっと優遇され続けてきていた。
これは知識としては知っていたのだけれど、経験者の口から聞いて納得。
大学もパレスチナ人枠があったし、住むところもあったし、教育も職も困らなかった。
戦争に出陣すれば特別なバスに乗せられ、タバコの配給もあった。

これはフセインが、
「パレスチナ人への同情」「パレスチナ問題の解決」を旗印にしていたからだ。
それらはアラブ社会に対する印籠のようなもの。
持ち出したら最後、出した人間を批判なんて出来ない空気が流れる。
口だけで「パレスチナ同胞へ救いを!」「パレスチナ問題の解決を!」と叫びながら
裏で結局自分の都合の良いようにしてきた為政者も多くいる。

国を失ったパレスチナ人は、フセインの政策で本当に助かったことだろう。
けれども、優遇されるパレスチナ人より低い暮らしをしていたイラク人は
口には出せなくても、鼻持ちならない気分だったに違いない。

「目に見える」違いや格差は、人々の心の間に不協和音を生む。
ヒトラーが対ユダヤ人政策で行ったのも、この不協和音を作ることが始まりだったらしい。

2003年、イラク戦争が始まってフセイン政権が倒れた時、全てが裏返る。
住居もIDすらも保障されなくなったパレスチナ人は難民化し、
テロがあればパレスチナ人のせいにされ、
スンナとシーアの争いが本格化すれば、スンナと目されて殺される。
(フセイン=スンナ派、フセインが優遇したパレスチナ人=スンナ派、
 というロジックが流布されたため。)
IDもないから自由に国外に出て行くこともできない。


そんなこんなで。
いつどんな理由で、命を、日常を失うか分からない生活を、
彼らは10年以上も続けている。
「イラクのパレスチナ人」なんてマイナー過ぎて、
国際社会の支援の網の目からは、常にこぼれてしまう。
最後に、アブー・サイード氏が涙ながらに絞り出すような声で話し出し、
口にした言葉が忘れられない。

「この人生を生きるチャンスがほしいんだ」



あぁ、と思った。
この人の人生は、政治に翻弄され続けてきたんだ。
持ち上げられて、地面にたたき落とされて。
ただ、華美な贅沢もなく、安心して日常を送りたいだけなのに。



この言葉を受け取った会場の一般の方々は、一体何を思っただろう。
政治、という大きなうねりのもたらした結果を突きつけられて、
同時に目の前で涙しているおじさんの激情に直に触れて、何を感じただろう。


願わくば、

このおじさんと、ずっと繋がっていてほしい。
「世界から見捨てられている」と、おじさんが絶望することのないように。
誰かの平穏な暮らしを政治が壊してしまいそうな時、声を上げてほしい。
おじさんみたいな人の話を、二度と聞かないでも済むように。
特定のグループを「あいつら」と呼ぶ風潮が巻き起こってきた時、思い直してほしい。
「あいつら」にも人生があって、失いたくない気持ちは私達と同じだって。


おじさんは多分、同情して終わりにして欲しいわけじゃない。
心の中に彼の言葉を留めて、少しでも動いてほしいんだ。
そう思う。