「デモ」というのは、命がけだと思っていました。
風に流れる催涙ガスにむせ、
痛みとショックで聴覚と触覚が麻痺して、
石が転がるオリーブ畑の中を這うように逃れ、
救護班のテントに転がり込む、
それが唯一、私が体で知っている「デモ」でした。

だから、9月18日の夜、国会前に行って驚きました。
全てがあまりに整然としていて。




ゴム弾も催涙ガス弾も飛んでこない。
いつ実弾が飛んでくるのだろうと、怯える必要もない。
集まった人たちはヒッピーでも戦争経験世代でもなく、
フツーのどこにでもいる老若男女。
あちこちに大学や地域の旗が揚がり、
ラップのリズムで政府への不信を訴える人たちがいて。
警察官は「取り組みに参加したい人はこちらへ」なんて誘導をして、
静かに列を作っていました。


身動きも取れないような人々の渦の中で、思いました。
日本ってすごいなぁ。
こうやって自分の信念を主張しても命を危険にさらされない、
バカだとか死ねとかしょっぴくぞとか言われない、
私の国ってすごいなぁ。
どうか、このままであってほしい。


それから思いました。
高い建物の中にこもっていないで、
画面の向こうから眺めていないで、
議員さんも賛成派も反対派もよく分からない派も、
1分でいい、「現場」を体感してみたらいいのにな、って。


この規模と、疑問を叫ぶ声の大きさと、一人一人の真剣な表情に触れたら、
絶対に言えないはずなんです。
「決まったことだから、後は従うしかない」とか、
「議論は尽くされた」とか、そういう言葉なんて。


私はこの心と体を使って感じられないと物事を信じないタイプですが、
そういうやり方が馴染まない人も世の中に多いのも分かっています。

それでも言いたいです。
言葉を発する前に、口と心を閉ざす前に、
人の渦の中、高くも低くもない目線に、誰もが身を置いてみて欲しいな、と。
それこそが、批評家でも傍観者でもなく、
「対等な市民で在る」方法のひとつだから。