今日の帰宅途中、蒲田駅で、
自分が乗っていた京浜東北線が止まった。
復旧に1時間以上かかる…ということで、
品川までなんとか戻って、京急線に乗り換えた。

もはや人間の乗り物ではないんじゃないか、
と思われる混雑度の電車の中で、
人身事故ゆえの遅延に遭遇するたびに湧いてくる言葉で自問する。
大学の頃は、中央線でよく考えていた。
10年経っても私はあんまり変わっていないのかもしれない。


今日のは、いったい誰が、何で電車に巻き込まれてしまったんだろう。
助かっただろうか。ダメだっただろうか。

故意なのか。恣意なのか。
意志をもってそうしたのだとしたら、
一体どういうプロセスでそこに至ったのだろう。

私はどうして、生きたいと思えるのだろう。
その誰かと私は、どこが違ったのだろう。

超満員電車を耐えて迷惑そうなひとたち。
このひとたちや私は、どうして「その人」に共感しないのだろう。
人を隔てるものは、いったい何なんだろう。


考えたって雲を掴んでいるようで、
それでも考えてしまう、「生」にかかわる問い。
答えは未だ、明確な形をとらない。