250年ほど前に綴られた文章を読んで、
「あぁ、我々は何度も同じところを耕しているのだな」と
思わずにはいられませんでした。

私はヴォルテールのように投獄される気はないし
故郷を追われる気も、あちこち流浪する気もありません。
神様に呼びかけるような信心も持ちません。

でも、冤罪と思われた一人の男の処刑に心を寄せ、
世間が何色に塗りつぶされようと自らの色をまき散らした、
そんな生き方を、素直に「いいな」と憧れます。

以下、彼の著作から引用します。
敵わないなと思う文章が、世の中には沢山あるなぁ。
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あなたはお互いに憎み合えとて、心を、またお互いに殺し合えとて、手をわれわれにお授けになったのではございません。苦しい、つかの間の人生の重荷に耐えられるように、われわれがお互い同士助け合うようお計らいください。われわれの虚弱な肉体を包む衣服、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように思えても、あなたの目から見ればなんら変わるところない、われわれ各人の状態、それらのあいだにあるささやかな相違が、また「人間」と呼ばれる微細な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください。……すべて人は兄弟であるのをみんなが思い出さんことを。平和に営まれる労働と勤勉の成果を暴力で強奪する山賊行為が憎悪の的であると同様に、人々の心に対して振われる暴虐が人々によって嫌悪の的とならんことを。
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「寛容論」ヴォルテール著、中川信訳、中央公論新社

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