洞窟のおうちで、眠りに落ちる前に読むのが宮沢賢治です。
昨日読んだのは未完の「学者アラムハラドの見た着物」。
その中で、学者の口からこんな言葉が出てきました。
「人の正義を愛することは丁度
鳥のうたわないでいられないと同じだ」
それに呼応して、生徒の子どもがいいます。
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないで
いられないと思います」
正義。いいこと。
それをそのまま純粋に、まっすぐ信じられたら、どれだけいいだろう?
一方で、世界のあちこちで誰かの暮らしの豊かさや文化、
命そのものを奪う「信念」がはびこっていて、
これをまた、一部の人が「正義」という旗を振りかざして行っていることに
私は脱力するのです。
ことに、ここエルサレムではそれが顕在化しています。
毎日、毎週どこかで目にする、何らかの暴力の形。
それが正しいことだと、信じて疑いもしない人々。
これをどう消化したらいいものか、まだ私の言葉にはなりません。
はぁ。
オチ、なしです。すみません。
昨日読んだのは未完の「学者アラムハラドの見た着物」。
その中で、学者の口からこんな言葉が出てきました。
「人の正義を愛することは丁度
鳥のうたわないでいられないと同じだ」
それに呼応して、生徒の子どもがいいます。
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないで
いられないと思います」
正義。いいこと。
それをそのまま純粋に、まっすぐ信じられたら、どれだけいいだろう?
一方で、世界のあちこちで誰かの暮らしの豊かさや文化、
命そのものを奪う「信念」がはびこっていて、
これをまた、一部の人が「正義」という旗を振りかざして行っていることに
私は脱力するのです。
ことに、ここエルサレムではそれが顕在化しています。
毎日、毎週どこかで目にする、何らかの暴力の形。
それが正しいことだと、信じて疑いもしない人々。
これをどう消化したらいいものか、まだ私の言葉にはなりません。
はぁ。
オチ、なしです。すみません。