------------------------------------------
「我々は完成を求めている。詩であれ絵であれ、教えであれ、人類の叡智を終結させた完成品を作り上げるために、それぞれが工夫し続け、智恵を絞り続けているのではないかと思うのです。」

『王とサーカス』(米澤穂信)

------------------------------------------

友人K嬢にプレゼントしてもらった本の中で、印象的だった言葉です。
小説自体は、ストレートで読みやすい作品でした。
そしてこの二文に、メッセージのほとんどが集約されていたように感じます。

この答えの前に、次の問いがありました。


「なぜ書くのか、答えられません」
「この世には無数の詩、無数の絵、無数の教えがある。ですがそれでもなお人々は詩を作り、絵を描き、どうすればこの苦しいばかりの生に耐えられるのか考え続けている……。それはなぜでしょう」



* * *


私はたまに、「なんで自分はパレスチナにいるんだろう?」
「なんで自分は書いているんだろう?」と、ぼんやり考えます。

だって、そうです。
ここのことを一番真剣に考え、闘い、行動しているのは、ここの人です。
私はほんのちょびっと現地の言葉が喋れて、少しだけ人を知っているに過ぎない。
ここに、居させてもらっているだけなのでした。(しかも給料をもらいながら!)



ただ、留学時代から、稚拙にも信じていることがあります。
自己弁護にすぎないかもしれませんが。

もし誰か日本人が、ここに来て、人に触れ、何かを知ろうとしたならば、

留学生にしか見えず、そして留学生だからこそ見えないことがある。
ジャーナリストにしか見えず、そしてジャーナリストだから見えないことがある。
研究者だからこそ見えて、そして見えないこと。
NGO職員だからこそ見えて、そして見えないこと。
旅人だから分かって、そして分からないこと。
アラビストだから拾えて、そして拾えないこと。
それらが、確かにあるのだと。

それらを総合する努力なしには、ここは分からないし、
それらを一旦、「あなたにはそうみえるんだね」と受け取らなければ、
彼/彼女にメッセージを託した「現地の誰か」にも、
失礼かもしれないと思うのです。




様々な意見をもつ、パレスチナの人たちに会いました。

「イスラエル政府の占領下に入った方が、こんな政府よりよっぽどいい」
「2国家共存はあり得ない。エルサレムだけ独立したらいい」
「支援なんかなくなればいい。またゼロから始めなきゃだめだ」

一つひとつの意見の底辺に、もちろん「政治問題」が沈んでいます。
占領が終わらなければ、人並みの安全は得られない。
封鎖が解かれなければ、人並みに夢は描けない。
それを念頭に置きつつ、彼らは絞り出すように、意見を言うのです。


そこは踏まえつつも、
それぞれの背景、専門、言葉をもつ沢山の人がここで得た、
「肌感覚」と意見に、まずは触れてみたい。
見たものや知ったこと、感じていることを、フェアに交換してみたい。
そう、思っています。

まずは私も何かを提供できるよう、私なりに、ここに居させてもらって、
謙虚に、私に手の届くカケラを集めていたいと思います。
政治を、変えなきゃいけないんだけどなぁ。どうやったら届くだろう。
ここはいつも悩みますが。

ぜひ来てくださいね。パレスチナ。


(ビール飲めまーす。)