大学の選択授業で、近現代のヨーロッパに少しだけ触れました。ナチス・ドイツが、どうやって人々の間に亀裂を作ったのか。ヒトラーが、どういう話法で人々の心を動かしたのか。そういったことも、授業で学ばせてもらったのを覚えています。

 あのユダヤ人大虐殺も、最初はほんの些細な亀裂から始まったことを知りました。例えば政府が、人々の身分によって就ける仕事を分ける。貰える配給の量を変える。するとだんだん、人々の着るもの・食べるもの・話すことに、違いが出てきます。あの人が羨ましい、あの人は身なりが汚い、と、人々の心の中に隔たりができます。そして結局、様々な制限を受けたユダヤ人に対して、同情心が麻痺する社会が出来上がったわけです。
 戦後の収容所で遺体の山を見たドイツの人たちは「知らなかった」と涙を流しました。「いいえ、あなたたちは知っていたはずだ」と、生き残ったユダヤ人たちは答えています。サイレント・コンセント(無言の同意)こそが、誰かを裏切り、いのちを奪うのだと、犠牲になった人々は知っていたのでした。

 だからもし、私たちが「自分が・周りが人間らしく暮らせる社会」を創りたかったら、先ず細かな変化に耳を澄ませなければならないのだと、私は思っています。現政権が好きだろうと、嫌いだろうと、一つひとつの精査を怠る理由にはなりません。
 私を、私の娘を、友人を、大切にしてくれる政府かどうか。国や民族の名の下に、誰かの暮らしやいのちを奪う方向へ動いていないかどうか。ときに民主主義だって過ちを犯すものだと、歴史が証明しています。大切なのは、常に感性を研ぎすまし、必要であれば声を上げ、世界中に知ってもらうことです。

 選挙結果を見ながら、そんなことを考えました。