エルサレムから空港へ向かうタクシーの中では
感傷に浸るかと思いきや、結局ドライバーと話しっぱなしだった。
他愛も無い世間話から始まり、話題はいつしか教育になった。
「教育は強く在るための武器だ」と言う友人がいてね、と口にすると、
そのパレスチナ人ドライバーのおじさんがボソリと言った。
「その反対でいえば、
『教育を受けられない人間は弱い』ということだな」
その通りだな、と思う私の心のどこかで、カチリと歯車が動く。
折しもその前日、トルコとドイツで事件があった。
そのさらに前の日には、ヨルダンでも人々が亡くなったばかりだ。
暴力は、他の手段を信じられなくなった誰かが使う、
分かりやすい短絡的な「強さ」だと思う。
ひとを怯えさせ、バラバラに散らす。
対する市民の私たちは、暴力とどう相見えるべきなのだろう。
感情的に反応する前に、教育を受けて育ってきた私たちなりの、
ただしい強さを発揮できないものだろうか。
教育期間を経て育てたはずの、先見。歴史から学んだこと。
冷静に分析する力。俯瞰する力。想像力。人と関わる力。学ぶ力。
そういったものが、ひとに、メディアに、
溢れていてほしいなぁ。とシンプルに思う。
この自由すぎる世界を、健全な強さで満たすために。