ピーテル・ブリューゲルの画集のページを繰っていて、こんな言葉にたどり着いた。

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『我々の心は自尊心と野心に動かされており、誰もが、善人と呼ばれることを望んで善人であろうとはせず、他人に教えたがりながら自ら謙虚であろうとはせず、多くの知識を求めながら僅かのことしか行おうとせず、他人を服従させたがりながら神の御手の下に頭を垂れようとしないのである。』
アブラハム・オルテリウス「カトリックの不審、プロテスタントの熱病、ユグノーの赤痢」より
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自尊心と野心に蓋をされたら、私は生きていけない。
それでも、彼の言わんとすることはよく分かるように思う。「私はどうしてこんなにも、他人に対して求めてしまうのだろう」という糸を手繰っていけば、帰着するのはそこなのだ。

今週うれしかったのは、先輩の言葉から、私に対する評価が滲んで見えたことだった。自身による評価より上方だった。
でもこれが、慢心と、他人への要求につながりそうな気配がする。

だから、もう少し自分で自分を丁寧に評価して、自分で自分の燃料になろうかなと思う。
漠と不安がるのではなく、記録をとり、過程を残して、「大丈夫、歩んでいるよ」と伝えてあげる。そしてたまに、周りに勇気付けてもらおう。
そうやって、自尊心と野心を御したいと思う。