引っ越して来て以来の若返りが加速し、食卓チェックにも拍車がかかるノアゴン。
お正月は、クロたんさんから頂いた獺祭を青い切子グラスで乾杯!大吟醸の獺祭、甘~くてまるで貴腐ワインのようにフルーティーで、かなり久々にアルコールを口にした私でもするする飲めてしまいました。













我が家から目と鼻の先にある宮崎神宮は、宮崎県内では最も初詣客が多く、今年も三が日の参拝人数は30万人を越えたとか。特に大晦日の除夜の鐘~元旦の朝は交通規制も入るほどの凄い人出!歴史が非常に古く、立地も良いので当然かもしれません。
そんな大混雑も、1月半ばを過ぎればこの通り。神社の奥では年に一度の陶器市も開催されていましたが、あるのは木々と鳥たちのざわめきだけ。












以前にもチラッと書きましたが、宮崎神宮の中に聳え立つ、天然記念物に指定されている大白藤。なんと樹齢600年だとか。雰囲気たっぷりですね。
こんな古木でも時季になれば花が咲くのでしょうか?マンゴーのおじさんの話では、木は古木になるほど、自分が死に行く代わりに子孫を残そうとして狂い咲きし、沢山の実を生らせる傾向があるそうですが。人間や動物には当てはまりませんけれどね(笑)
これほどの大木に白い藤が咲き誇る姿、見てみたいものです。
多くの神社がそうであるように、宮崎神宮にはこんもりとした木々に被われています。鬱蒼とした森のような感じで、この中に入ると空気が確実に一段階、綺麗になったとわかります。神社が凛とした空気を放っているのは、こうした木々の働きによるところが大いにあると思います。














こちらは宮崎神宮の斜向かいにある文化公園にあるユーカリの大木。先程の大白藤よりはだいぶん若いものの、樹齢100年です。楠や銀杏なんかの大木は樹齢数百年と言うのをよく聞きますが、ユーカリは日本では珍しいですよね。ツルリとした白い木肌が面白いです(←木フェチ(笑))。

宮崎県立文化公園には、音楽ホール、演劇ホール、美術館、そして図書館があります。後ろに見えるのは図書館、歩いてすぐの距離にあるのが嬉しい!この左手には美術館があり、年間の殆どの期間、入場無料の催しがあるのがこれまた嬉しい!












反対側からも。今度はバックが音楽ホールです。ここから歩いて2分程で我が家に着くので、窓を開ければこのユーカリの大木の爽やかな香りが家中を漂い、たまにコアラも遊びに来ます(うそ)。
実際には、木からは何も香りはしません。葉っぱをちぎったり、木を削ったりすれば、ユーカリならではの清涼感ある香りがするのでしょうね。











前回記事の青島神社、日中に行って植物撮影のリベンジを果たして来ました。たくさん撮った植物の写真はまた別の機会に載せるとますが、今回はこの木だけを。
推定樹齢100年の2本のアコウの木なのですが、ガッチリと絡み合うその姿から「絆の木」と呼ばれています。取り分けカップルに人気だそうです。アコウの木自体の別名は、「絞め殺しの木」ですが!

人も猫も植物も、程よい距離感が長続きのコツだと私は思うのですが、この絆の木は絡み合い過ぎてもはや境目がわからず、ほぼ1本の木になっているなんて凄いですね。一心同体とはまさにこんな事でしょう。

















この2人は常に付かず離れず。でもやっぱりツーショットが増えています。
日向ぼっこが気持ち良い季節です。



さて、月末恒例お薦めクラシックコーナーです。今年最初のこのコーナー、今月は酉年にちなんで鳥をテーマにした音楽を。
古くから、鳥の羽ばたく姿や美しい鳴き声は作曲家たちの創作意欲を掻き立てて来たのでしょう、数え切れないほど多くの鳥の曲があるのです。なので、今回は第1段として、クラヴサン時代&コンテンポラリーからご紹介しましょう。まずはクラヴサンから。




◆ラモー:めんどり (P:ソコロフ)





力強い生命力に溢れた「めんどり」ですね。めんどりの首の動きや歩き方のちょっぴり滑稽な様子を見事に表現しています。ラモーはめんどりをよく観察していたに違いありません。
ソコロフの演奏は生き生きとしていて、元気いっぱいのめんどりが目の前にいるかのよう!








◆ダカン:かっこう (P:シフラ)





ダカンのかっこうもラモーのめんどりと似たタイプで、鳥の命の躍動、動きの面白さを表しています。シフラのかっこうは「THE 無窮動」!とても忙しそうなかっこうです。「かっこう~、かっこう~~、静かに~♪」と言うあの皆さんご存じのドイツ民謡の穏やかさとは真逆。

かっこうと言う鳥は、他の鳥の巣に自分の卵を産み付け托卵し、孵化した雛が他の雛たち(つまりその巣の本来の雛たち)やその卵を蹴落としてしまうえげつなさや、閑古鳥=かっこうと言う縁起の悪さで知られますが、その特徴的な鳴き声のお陰で親しまれています。種小名のcanorusは、「響く、音楽的」と言う意味だそうですから、音楽にたびたび登場するのも頷けます。









◆クープラン:恋のうぐいす (オルガン:Neil Cowley /リコーダー:Clara Cowley)







この演奏、会場はバルセロナの教会らしいですが、天井が高い石造りの建物に響き渡るリコーダーの音が本物の小鳥の歌に聞こえますね。うぐいすの恋の季節もすぐそこですね!











寒い1月でも芽吹きが始まっています。夜の闇に新芽の中の新芽、まだ白い芽が何とも綺麗。

ここからはコンテンポラリーです。



◆武満徹:鳥が道に降りてきた






去年が没後20年だった武満も鳥の曲を書いています。この曲の他にも、オーケストラ曲「鳥は星形の庭に降りる」があります。この「鳥が道に降りてきた」は、ヴィオラとピアノの曲。武満ワールドが味わえますね。

この演奏は、フランスのノルマンディー地方の入り口であるルーアンでの映像を交えながらのサロンコンサート。どうやら、日本とノルマンディーの交流コンサートのようです。演奏はまぁ普通ですが、この雰囲気が余りにも懐かしい感じなので選んでみました。








◆メシアン:鳥のカタログより「モリヒバリ」 (P:イヴォンヌ・ロリオ)






鳥の音楽と言ったら、このメシアンの鳥のカタログ集はもちろん外せません。メシアンは鳥類学者としての顔も持つほど鳥にのめり込み、世界中の鳥の鳴き声を楽譜にスケッチをしていた末に出来上がったのがこの鳥のカタログの曲集。「モリヒバリ」は、全13曲から成る鳥のカタログの第6曲。舞台はフランス南西部オーヴェルニュ地方のフォレ山地。
真夜中の森の静けさと、空高くから聞こえるモリヒバリの神秘的な鳴き声の対比、その平穏を引き裂くようなサヨナキドリの声、突然の激しい羽ばたき……音が描き出す森と鳥たちの情景に身を委ねます。一気に森へと連れて行ってくれるこの曲、何度も舞台に上げた私の愛奏曲です。
イヴォンヌ・ロリオは名ピアニストであり、メシアン夫人でもあります。
彼女に教わっていた友人からは、いろんなお皿に上からザザーッとお砂糖で真っ白になるまで掛けるほどの甘党だったと言う可愛いエピソードも聞きましたが、フランスマダムらしい自由活闥な演奏は実に清々しく、特に鳥のカタログ集はロリオの右に出る演奏は無いように思います。


最後に、メシアンの「わが音楽語法」の第9章「小鳥の歌」の書き出しをご紹介しましょう。

~ポール・デュカスは言った。「小鳥の声を聞き給え。彼らは巨匠である」私はこの忠告を待つまでもなく小鳥の歌を称賛し、分析し、記譜してきたことを告白する。彼らは歌声の鳴き交わしによって、極めて繊細なリズム保続音のもつれを聞かせる。その旋律の動き、取り分けツグミの歌は、その気紛れさにおいて人間の想像力をこえている。彼らは半音より小さい平均律化されない音程を用いるし、これらは非物質的歓喜の小さな奉仕者がさえずる歌声の編曲であり、変形であり、解釈である~

ポール・デュカスはメシアンのパリ音楽院での師です。この文章は、小鳥の歌がどれほど作曲家たちを魅了し、何故それほどまでに魅力的であるのかをよく言い表していると思います。


皆さんはどの鳥の音楽がお好きでしたか?











~おまけ~
真っ白フワフワへんこちゃん。
最近のブームは、紙をビリビリに破ること♪