松戸戸定歴史館(記事途中ーー) | (奈桜のブログ)

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なんだかね…つれづれに


歴史館の正面玄関で
腰に手をあてポージングする慶喜さん!




企画展【将軍とプリンス 敗者の明治維新】

●期間●
 前期…10/10(土)~11/23(月・祝)
 後期…11/26(木)~平成28年1/11(月・祝)

松戸戸定歴史館のサイトへ→



初日の昨日10/10(土)に
見に行きたかったのですが
どうにも仕事が休めず
本日、朝から駆けつけました!

構成は↓

一章…為政者(いせいしゃ)の足跡
二章…政権奉帰(ほうき)と無念の帰国
三章…沈黙の造形~敗者が残した文化財
四章…終わらぬ維新~皇室と德川家

だそうです。

テーマについては
じわじわと感じていきたいと思います。

(※ この構成をね、「偽政者」と
読まれたり、政権「放棄」と受け取られたり…
たった3時間の滞在中に耳にした
残念な勘違いの声を一応記しておきますよ…。)


とりあえず、時間の無い私は
さらりと全体見回した後、
個人的優先順から張り付きました(笑)

(でも結局、黙々と3時間居ましたよ)



●慶喜さんの秘密事情より
日付不明(明治31年3月かな?)

延引二相成候今日ハ御閑暇二付御出御願被遊
候御迎トシテ御馬車御廻シニ相成候間百事御
クリ合セニテ直二御出相成候様被遊度トノ御
口上故奉畏候旨御請致シ右御馬車ニテ参殿致
ス(篤敬殿今朝_有栖川宮エ御参殿ノ処_宮仰
二今日御使ヲ巣鴨エ御遣シ二相成候処□今
日御断二相成候テハ誠二御残念被思召候間是
非参殿致候様盡力可致トノ御沙汰ニテ巣鴨エ
御出ノ途中御行逢申拙子馬車エ御乗移ニテ車
中ニテ右ノ御話有之)
早速御逢ニテ(篤敬殿ニハ直二御退散)御懇話被為在夫ヨリ
参内ノ事御スゝメニテ宮内大臣抔モ慶喜ハナ
ゼ参内致サヌカト申シテ居リマス伺ハ致シマ
センケレド__陛下二於テモ何ト思召テ入ラ
セラルゝカ知レマセン是迄ノ□ハサツパリト
御捨ニテ世ノ中エ御出被成候方
王室ノ御為ニモ宜敷旨懇々御沙汰被為在候故
誠難有御禮申上私事長々静岡二居候得共追々
老年ニモ相成今一度存生中二参内致シ一度
天機ヲ伺候得ハ
夕二死スモ可ナリト存居候処
種々事情有之右様ノ運ニモ成兼候処只今御沙
汰ノ様二相成候得ハ無此上難有仕合奉存候旨
申上候処_殿下仰二然ラハ参内ノ事申入候時…。

(これは確か、没後100年?あたりで開いていた頁ですね。続きが読みたいですねっw
しかし…今では「万障繰合わせ…」なんて
云いますケド、「百事御クリ合わせ」って
百事=万事なんですね)


●慶喜さんの日記より
明治31年3月条

◯退散ヨリ_有栖川宮殿下エ参殿御禮申上ル
(家達殿道道御玄関デ申□)

◯有栖川宮葉山御滞在二付以書状御禮申上ル
右書状三月三日家丁美濃部ヲ以テ葉山エ差上


同 三日  木  丑
◯十二時出門勝伯方(安房)エ参ル昨日ハ参内致シ
両陛下二拝謁品々拝領物致シ難有奉存ト云 勝云
誠二ケツコウダ 私シャ大キク遠キトコロカラセメ
テクル並ノ人ハ コウ願マスト云カラ出来子ヘワ
シハ、アッチカラヲシタリ、コッチカラ、ヲシタリ、色々
ニシテ終ニワガ思フ処エ、ヲトスノダ、夫ダカラワ
ルクモ云タリ、ホタテモミタリ、是迄色々ニシタノ
ダ、世間デワシヲヤマシダト云ガソウデハナイ、昨
日ハワガ思フ通リニナツテ恐悦ダ是カラ遊ンデ
イルガイゝ、是デ金ガアルトイケナイ、金ハナイホ
ウガイゝヨ 予云 先生ノ御目ノ付ケ処ハ衆人ノ及
バマ処デ御座イマス 私ハ是カラ天理二ソムカヌ
様二致スツモリデ御ザイマス依テ此ヌメエ楽…。

(これも以前開示されていた頁ですね!
前の頁も続きの頁も読みたいですね~
カタカナ書きで心に刻んで…みたいな解説が添えてありましたが

しかしながら…私には…
「安房のヤロー、まったく、こんな事言いやがった。」
みたいに苦笑しながら記した気がしてなりませぬ(笑)
あ…御礼の気持ちは決して嘘じゃないですよ。
慶喜さん、そういう所に曇りのある人じゃないと思います。
そんな人ならわざわざ勝邸まで足を運んだりしませんからね)

←やだ。慶喜さん可愛い…と
心鷲掴みにされる時のひとつのパターンw



●慶喜さんの日記より
明治31年6月条

部屋ニシテ桂昌院殿ト申本庄七郎兵衛宗正
女於玉方光子五代常憲院殿ノ御生母ナリ宝
永二年逝去増上寺二葬(右ハ溝口勝如ノ談)

(まず…これは前頁からの続き部分で、本題ではないのだけど
ちょっと内容が面白いので解説~(笑)
これ、元旗本の溝口勝如(かつゆき)八十五郎(伊勢守)から聞いた話だそうで
溝口さんは勝海舟とも親交があって精さんの
養子縁組を纏めた人でもあるんだけど
内容が「大奥」なんかでよく取り上げる
元祖玉の輿の「お玉の方」の話だよ。
それを「へぇ~」と思ったのか、日記に
記してる慶喜さんが可愛い!)

…では、本題(笑)

六月二日 月 辰

午後三時過 香川敬三殿被参拙子事此度以_特旨
授爵可被仰出_御内沙汰二候然ルニ當節ハ法律有
之二付此儘直二授爵難相成法律ノ為誠不得己
分家届差出一旦平民ト相成リ改テ華族二被列直
二授爵被仰出候□二御治完相成候二付過刻千駄
ヶ谷ヘ参殿家達殿ヘ右ノ譯合御話申上候処御承
知ニテ分家届書面エ(書面ハ宮内省ニテ調候書面ナリ)御調印相
成候間拙子ニモ調印致候様此儀今日私取扱候様
陛下ヨリ御直二被仰付候二付参殿致候トノ□故
誠二分家存寄次第身二餘リ難有仕合先以御禮申述
直二調印致シ候(右書類写ハ家扶方二留有之)右書面香川殿持
参ニテ参内被致候上左ノ書面式部長ヨリ御達二
相成候

  明三日授爵相成候條大禮服着用午前十時三十
分参内可有之候也

(まず…困った。「治完が書き下せない…。どう読むんだべ?
ま、意味は分かりますよね。□は友人への宿題なので気にせずに…w
同じ文字が入ります。
一旦平民ト相成り…これは、やはり
衝撃的な事なんでしょうね。
産まれてこのかた、ずっと平民には
分からないところです。)

※ちょっと、この条はもう少し掘り下げます※



まだまだ続きまーす。

↓↓


慶喜から昭武さんへの書簡
慶喜から山高石見守への書簡

こちらはずーっと前の展覧会の山高さん




葬祭之礼典ヲ神式二改ム

 葬祭ノ礼典二付予ハ
 祖廟二詣ル毎二心窃二
 思フ所アリシガ往年
 京都二詣リ泉山ノ
山陵ヲ拝スルニ及テ
 其御質素ナルニ
 恐懼スルト共二予ガ
 胸中無限ノ感慨
 實二言二忍ヒザルモノ
 アリ而シテ我
王室ノ益御隆盛ナル
 自ラ□□アルニ深ク
 感激セリ予ハ
聖恩ノ隆□ニヨリ上公
 ノ爵ヲ拝受シ新二
 一家ヲ剏立セリ予ハ
 此時ヲ機トシ我家
 葬祭ノ礼典ハ神式
 ヲ採用シ努メテ
 外観ノ虚礼ヲ去リ
 以テ予ガ
山陵ヲ拝シテ感慨スル
 所ノ趣旨ヲ貫
 徹セントス 我子孫及
 其隷属タル者善ク
 予意ヲ體シ恪テ
 之ヲ遵守セヨ

 明治三十八年二月   德川慶喜

(この葬祭之礼典ヲ神式二改ム…は、原書?と、写しの2つが展示されていましたが…写しって、どなたがお持ちだったのかしら。
明治31年に30年ぶりに明治天皇に謁見してから、明治33年に麝香間祗候を授爵、そして明治35年には公爵を授爵して、宗家の云わば部屋住みから独立して慶喜家を創設した慶喜さんが、お墓を神式にすると宣言したもの。
徳川将軍15人のうち、慶喜さんだけが
増上寺にも寛永寺にも祀られていない理由はこれ。
けれど、先代の供養を忘れる事はなかったのよ。)

※サクッと公爵についてお話すると
明治2年に公卿、諸侯を改称したのが華族令で、順列としては上から
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
明治17年の段階で、公爵は
近衛、一条、九条、鷹司、二条の旧五摂家と毛利、島津、三条。
本来は摂家と徳川宗家及び国家に偉勲ある者とされていたそうです。
この華族制度の続く78年間に公爵家は最多でも19家だったとか。
そんな中、明治35年に徳川慶喜家が授爵。因みに昭和4年には徳川圀順さん(水戸徳川家)が授爵。他、御三家は侯爵なんですって。
どれ程、有難いものなのか…お分かりいただけましたか?


たくさんの人の恨み辛みを
一身に受けて、黙って、うんと遠慮して
暮らした30年間を
ちゃんと見ていてくれた誰かが居たって事です。
そして頂けたご褒美なんです!

其隷属タル者善ク
予意ヲ體シ恪テ
之ヲ遵守セヨ

…はい。(^o^ゞ





あ。そいえば。
斉昭パパの焼いた「黒茶碗」も
来てますよー!





昭武さんの臥床日記…
これは…辛かった。
亡くなる2週間前ぐらいの
昭武さんの鉛筆文字…。
これ、慶喜さんも見たのかな…。




などなど。


取り敢えず本日はここまで。

追って、もう少し書いていきますが
「完了」できるのは…いつかな(苦笑)



なんで
このブログに上げようと思ったか?
ちょっと書かせてくださいね。

私がこちらでブログを続けていた理由のひとつに
ある読者の方からのメッセージがありました。

慶喜さんが好きだけど
地理的にも生活的にも
展覧会や所縁の地などを訪れる事が不可能。
だから、ここへ来て
静岡や水戸やその他、慶喜さんに関わる
色々な場所の事を見るのが楽しみだ…と。

そうなんです。

幸いな事に私は、育児に集中した時期には
特に何かに興味を持つ事もなくて
むしろ家事や育児が趣味だったから(笑)
寂しい思いもしなくて済んだけど
もしも、今の私がまた親の介護やら
孫の世話なんかで思うように活動出来なくなったら…
そしたらきっと、私もそんなブロガーさんを見つけて
楽しませて貰うんだろうと思うのです。

私は慶喜さんの人生をなぞらせてもらいながら
彼の「運命を受け入れる姿勢」を
学ばせてもらっています。

きちっと受け入れて、その中で
楽しみを見つける事を。

楽しみはおのが心にあるものを
月よ花よと何求むらむ

ですです。

だから、今
各々を取り巻く事柄を
しっかり受け止めて頑張って欲しい。
子育て、頑張って。
家事取り纏め、頑張って。
お仕事、頑張って。

お仕事については、まだ私も現役なので
ちゃんと頑張っているよー!

特にね
ちゃんと子育てに向き合っている人には
断然エールを送りたいのです!



かつて…とある先生に
「慶喜を知って、どうしたいの?」と
聞かれた事がありました。


私はその日からずっと
自問自答を続けています。


答がいつ確定するかは分かりませんが
今思うことは

温故知新







そんなわけで
色々、嫌な事もあって
ブログ止めよっかなーって思っていたけど

あんまりマニアックじゃない話は
書いてみようかな…と
思った次第でございます。

(慶喜さんを取り上げる自体で
マニアックなのかも知れませんけどねw)