前の記事にも書いたように、私はSMAPのことが大嫌いだった反動でファンになった。
とはいえ、最初から「6スマ最高!」みたいな感じではなく、木村拓哉を見るためにSMAPの番組を見ていた。

そして「あすなろ白書」の放送と前後して、SMAPの露出は格段に増えていく。

この頃のSMAPの戦略は見事としか言いようがなかった。
「ドラマ班」「バラエティ班」としてグループの中でメンバーの色をつけた。
(音松くん的な意味ではなく)

・かっこいい系(木村、稲垣、森)
・おもしろい系(中居、草なぎ、香取)

私はこの戦略にガッツリはまった。
アイドルとして「好き」と言いやすい王道のドラマ班の3人を中心に応援してはいるものの、世間ではレギュラー番組としてはバラエティ班の3人を見る機会も増えていく。

SMAPというグループそのものよりも個人の名前の認知が早い時期に広まることこそ、長期的な人気に繋がったのではないかと思う。

元々、音楽番組で歌い踊る6人のアイドルの顔と名前を一人一人覚えて好きになるというのは、結構な難関だ。
だからこそジャニーズは、そもそもアイドルに興味のある女性層にしか届いていなかったし、そのビジネスモデルは同様のグループを量産するに留まっていたのだと思う。

今のように気になったらすぐ調べるネット文化が全くないあの頃では、まず個人のキャラクターを理解させてからグループの活動へ昇華させるやり方は結果的に世代や性別を越えて人気を獲得することになった。

ただ、当時の私はもちろんそんなことは考えていない。
あくまで木村拓哉中心ではあったものの、そこからメンバーそれぞれの個性を知り、グループ全体のファンになっていった。

彼らが載っている雑誌は全てチェックし、テレビ番組はたとえ5分でも録画する。

中学受験から中学生になってしばらくの時期、両親はそんな私の姿を見て「異常だ」と言っていたのをよく覚えている。
そしてその時私が両親に返した言葉も、とてもよく覚えているのだ。

「どうせアイドルなんだから私が大人になる頃には解散しちゃうんだし、中高生の間くらい黙って好きにさせてよ」

達者だ。
そして、よくわからない理屈だ。


とにかく、その頃の私ですらSMAPは数年もすれば終わる、そういうものだと認識していた。

ところがSMAPは一向に解散せず、いつの間にか両親も月曜10時は自然にスマスマにチャンネルを合わせ、SMAPの出るドラマを見るために帰るようになった。



こうしてSMAPは私にとって「日常」となった。