Youtubeで吃音のドキュメント映像を見つけました。

 

「100人に1人の伝え方」

 

んー、この割合には違和感がありますが・・・

 

 

それはいいとして、この動画では主に吃音で悩んでいる

2人の方にスポットライトを当てています。

 

社会人の高橋さんは、症状と格闘しながらも、

知らない人に声をかけたり、結婚式のスピーチに挑戦したり、

前向きに行動していて凄いなぁと思います。

自分だったら、そんな行動できなくて、

回避回避!ってなってしまいますから ^^;

職場の人間関係も良さそうで、

周りの人に理解してもらえてるっていうのも大きいと思います。

どもりであっても、それを補完できる人柄とか、

そういった面があるんだろうな、と感じました。

 

一方、就職活動中の本多さんは、心の苦しみが痛いぐらいに伝わってきます。

10代後半から20代にかけては、自分も苦しかったですからね。。。

営業職を志している理由がちょっとよく分かりませんが、

希望通りに行かない人生を突き付けられるとツライものです。

最終的に調理業に落ち着いてしまうっていうのが切ない。

だって、私自身がそうですから(笑)

飲食店=拘束時間長い=ブラック=人手不足

みたいな図式になってそうで・・・

夢を失くした人が飲食店に行きつくという訳ではないですが、

これが現実なのかなという気もします。

 

最後にインタビュアーから「吃音とは?」と質問されて、

「マイナスです」と答えてしまうところが心苦しいです。

うーん、プラスかマイナスかの二元論だったらそれはマイナスしかないと思う。

伝えたいことが伝わりずらい、他の人みたいに流ちょうに喋れない。

確かにマイナス要素です。

でも、高橋さんが言うように、どもりでも"喋れる"っていうことが大事なんじゃないかな。

むしろ、喋れなくなった方がいいと思うこともあるけど、

実際そうなったらちゃんと受け入れられるか分からないし。

でも、あまりに重度で、社会生活に支障がある場合は別ですよね。

そこは最低限度の生活の保障はあってもいいんじゃないかと思う。

だからといって安易にそこにすがりつくのは賢明ではないですが。

 

まず、自分が吃音であるということを受け入れて、

そのうえで自分に何ができるか、何をしたいのかを考えることが重要ですよね。

私もまだまだ模索中ですが、生きてる限りは幸福を求めたいです。

 

あなたにとって吃音とは?と聞かれたら何て答えましょうかね。

そもそもこの質問自体、ナンセンスな気もしますが。。。

陳腐な表現だけど、個性とでも言っておこうか。。。

どもりじゃなくても、早口で何言ってるか分からない人もいます。

自分たちドモラーは、ゆっくりでも筋を通していけば、

信頼に足る人間になれると信じています。

常識とか固定観念というフィルターで振るい落とす人々は、

所詮そこまでしか見てないと思っていた方が、精神衛生上良いです。

 

どうか卑下しすぎぬよう。

 

明日も頑張りましょう。