私の生い立ちと使命① | 人生どん底だった夫婦があるマインドの秘密を知って人生をブレイクスルーさせたストーリー

人生どん底だった夫婦があるマインドの秘密を知って人生をブレイクスルーさせたストーリー

がんばっているのに報われないあなたが、脳×マインド『5つの法則』と地に足ついたスピリチュアルで豊かさもパートナーシップも手に入れる

  こんにちは 阿部梨絵です。



数あるブログの中からお越しくださり
ありがとうございます(o^―^o)





前回は私がこれから新しい活動をしていくというご報告と





その思いをお伝えさせていただきましたドキドキ





音譜前回のブログ







そして
どうして
新しい活動を始めようと決意したのか…❓


その原点ともなるお話を今回はさせていただこうと思いますラブラブ






まずは私の生い立ちから…







バス通りに面した青果店を営む両親、


そして
2歳上の兄、4歳下の妹の 3人兄弟の真ん中の    長女ですかお



当時は バブル真っ只中で景気も良く小さな商店街さえ人が溢れていてDASH!





うちの八百屋も夕方になると近所の主婦の列ができるほど
商店街を賑わせていました✨


まるで
『サザエさん』がお買い物をしていそうな場所でした(*^.^*)





6歳までは店の上に住んでいたので
お店が遊び場でいつもそこにいました。


私は人が苦手だったけれど
なんとなく、その空間が好きでした





忙しさもあって

母はいつも疲れていて不機嫌そうにしていたので

いつも母が怖かった。




今でこそ女性がフルタイムで働くのが当たり前の時代ですが


当時はパートをしている人がチラホラいるぐらいで



母のように朝9時~お店を開けて夕方まで働き
また夜にはお店の片づけをしてなんて




自営業ぐらいだったのではないかなと思いますショック!




家庭の中心は子どもではなくお店にあり、




子育ても家事もろくに時間の取れない母の代わりに



母方の祖母が 相模大野から瀬谷にあるわが家まで(横浜市瀬谷区 相模鉄道線)



週6日で電車と自転車を乗り継ぎ通勤してきたのでした



(母は祖母に仕事として頼みお給料も渡していました)





60過ぎの祖母は70過ぎまで毎日欠かすことなく



朝8時にはうちにきて



家事をして 夕飯の準備をして私を寝かしつけ帰っていくのでした。





本当に昔の人って働き者ですよねあせるあせるあせる





2DKの狭いアパートで



目が覚めると 真っ暗な家に一人寝かされていました。



赤ちゃんの時からずっとそうだったそうです。



怖くて、怖くて、泣いて叫んでも誰も来てはくれません。



それでも起き上がって カーテンにくるまって


ただ ただ 泣くしかありません。




窓を開けて外に出る勇気がある時は
 ベランダからお店に向かって



『おかぁ~さ~ん 
こわいよ~!!! おかぁ~さぁ~ん こわいよぉ~!!』



そう叫び続けました。


すぐ下には商店街があって

たくさんのお客さんが歩いていました。


母は ハッと驚いた顔でお店から出てきて

『今 あがるからね』と叫び返してはくれたけど

私は知ってました。



一番忙しい時間帯に 母がいなくなると

父が激しく気持ちを荒立てることを。





昔は共働きであっても子育ては女の仕事でしたから


『泣かせておけばいい』『放っておけばいい』



というわが家の方針




道路挟んで向かい側にある
建設会社の事務所の奥さんが




『いつも泣いていて可哀想だから、うちの事務所の畳で寝かしてあげていいわよしょぼん



そう 言ってくれていたそうです。




妊婦であろうと関係なく 幼い子どもたちを背負って仕事をして、



重いものを持つことも、冷たい水に手が触れることも



ただ 週6日お店を回すことが優先のわが家でした。







だからといって
母が帰宅したところで



それも 息の詰まりそうな時間の始まりで





父とのやり取りにストレスを抱え
一日立ち仕事をしてきた母には全くのゆとりがなく




私が夕飯で好き嫌いをすると 怒ったり




眠くてお風呂に入りたくないとぐずると叩かれ



兄との喧嘩の声がよっぽど耳障りな時には

突然 怒り出し腕を掴んで引きずられ



真っ暗なお風呂場に放り込まれましたダウン






母の気持ちが収まるまでは耐えるだけの時間です。




どこにも自分の安心できる場所がなくて

楽しいと思えることがなくて




私はいつも一人で空想にふけって遊ぶことが好きでした。





とにかく とても怖がりでいつも不安



生きた心地もしてなくて





家で食べたご飯を美味しいと感じたことがなく




人に対しては疑心暗鬼でしたから



愛想をふりまくことも、挨拶をすることもできず



近所のおばちゃんから見たら 可愛がられない子




友達とも うまく遊ぶことができなくていつも仲間外れでした。





だから 人と関わって嫌な気持ちになるぐらいなら




一人で空想にふけってる方が心が落ち着くと思っていました。











そんな不安定な2歳 3歳を過ごしたおかげで

なかなか『おもらし』が治らなくて。



これは 当時 自分でもなんでか不思議だったんですけれど





自分で自分のコントロールが全くできない状態でした。




周りのお大人たちはとにかく忙しいですから



おもらしだの おねしょなどして 洗濯物を増やしたら


とんでもない手間なわけで



とんでもない厄介な子でした。





私を可愛がっていた祖母でさえ 
そのおもらしには
うんざりした顔をしていて





祖母と母でどうしたら治るか相談をして出た結論が





『これは罰を与えるしかない』



だったらしく



『リエちゃん、今度おもらししたらお灸すえるからね!!!』





とても怖い顔の母に言われて その意味もわからず でもまさかなぁ…





相変わらず のほほんと 空想にふけっていました。






『あぁ 約束したのに やっちゃったガーン



という日は間もなくすぐに来て



それを見た母は突然逆上して 無言で立ち上がり
台所に行って 蚊取り線香に火をつけ始めました。


『え?まさか…ね』





そんな状況でも子どもというのは

たった1人の母親を信じようとする
愛の塊です


なんてケナゲなんでしょう。






私の願いとはうらはらに





火のついた香取線香を手に持ち
 こちらを見据えた母の顔は
鬼のようでしたガーン






殺気を感じて狭い2DKのアパートを走って逃げましたよ。



『やだ~ やだ~』って言いながら泣きながら・°・(ノД`)・°・





すごく長く恐怖を味わった感じがしていたけど




一瞬の出来事だったと思います。





私のお尻に 火のついた香取線香が押し当てられその場は収束しました。






私が3歳の頃のことかお



不機嫌な大人たちの罵声が飛び交う中で
私は育ちましたヽ(;´ω`)ノ




ひとつ、ひとつが私の原点ですドキドキ

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ではでは続きはまた次回に



今日もお読みくださりありがとうございました✨✨✨







ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ