永遠の0を見て… 亡き旦那様を… | 岐阜県本巣市・岐阜市 ブリランティ バンビーニ 千鶴ピアノ教室 【真桑教室】/【諏訪山教室】のblog♪

岐阜県本巣市・岐阜市 ブリランティ バンビーニ 千鶴ピアノ教室 【真桑教室】/【諏訪山教室】のblog♪

当教室のブリランテ バンビーニとは、 イタリア語で、煌めく子供達と言う意味。子供達には、無限の煌めく様な感性と夢、そして可能性があります。その子供達に、表現力が豊かな大人に成長していってほしいなと、日々、心より想ってLessonさせて頂いています

映画をみて


まさか、
ここで、亡くなった旦那様のことを
書くことになるとは…
感想を書こうと思っただけ
なんですけれど…


うちの旦那さま


平成19年 3月12日、46歳で
この世から
天国へ旅立って行きました。
末期癌でした。

でも
でも
亡くなる一週間前まで、足を引きずって
現場に行っていました。

最後の現場は、名古屋にある
ミッドランドスクエア。
素晴らしい建物です。


私は、毎年一回は、
ミッドランドを眺めに行きます
そして、下から見上げるんです。
貴方は越せないなぁ…って。


うちの旦那さま


家族の為に最後の最後まで
闘ってくれました


俺は死ぬのは怖くない
と。
そんなことより
家族の事が…


どれだけのことをしてくれたか…


私は、そのことを十分噛み締めながら、
3人の子供達を育てています。


定期検診で行った病院で、
あと3ヶ月の命しかないと宣告され
病院の先生に、ご家族を呼びますか?と
言われ、
いえ、待って下さいと。
自分の口から話しますからと。
それから、旦那さまは、
そのことを私たちに話すことはありませんでした。


ついに、余命一ヶ月となったとき、
たまたま、看護婦である母が、
旦那さまに、処方されている薬をみて、
気付いたのです。
出されている薬とは

モルヒネでした
治療薬ではありません



その時の私と言ったら、
それはそれは取り乱しました。
泣きわめき
どうして、どうして!と。



でも、旦那さまは、
こう言いました。
俺は死ぬのは怖くないと。
お前は幸せだよ
3人の子ども達がいるんだからと。
そのときは、その意味がわかりませんでした。
今は、分かります

生き残ったものは、
一所懸命生きるべきなんです。


あのとき、旦那さまは、
俺は死ぬのは怖くない。後悔もないと。
でも、どれだけ生きたかったろうか
悔やまれただろうか


だからこそ、
私は、そこから立ち直った今
時間を無駄にしたくない
死にたくて亡くなったわけではない
旦那様の分まで
生きようと。
貪欲と言われても、
精一杯生きると決めて
ここまで来たんです。


実はね
旦那さまが、
亡くなってから知ったことが…

ついに、私も余命を知ってから
三人の子供たちが、まだ小学5、3、1年生
だったから、
余命がないことを、子供たちは、告げないとおこうと、夫婦で決めたのに、
実は、子供達は知っていた。

私に内緒で、
お母さんを守ってやれよと。
兄弟助けあっていけよと。
子供1人1人に言っていたと。

あの人こそ
家族を愛していた人はいません
家族のために、
最後まで
闘った人でした


私は
永遠のゼロをみて

私は今の生き方に
恥じない。


これからも
自信持って
前に進んでいこうと
思いました


今日という日に
この映画がみれて良かったです



*乱筆で申し訳ありません


{87A3D61C-F2F3-470D-AE6A-FC81802DB386:01}