今回の件でわかったはずだが、
いかに我々が「他者」と共に生きているかってこと。
そう、コロナの感染力は我々が「ひとつ」であるということの証明だ。
たとえどんなに嫌でも、普段から我々はお互いに飛沫による体液や細菌の交換をしている。
つまり、細胞レベルで皆つながっているってこと。
だから、どこかで誰かが感染したとか、何処どこの店で感染者が出たとか。
噂レベルで詮索したり、デマの情報を流したりするのはやめよう。
それは、かつての魔女狩りや、漫画デビルマンのようである。
我々は過去の失態で学んできたはずだ。
人類は「1個体」、「原人間」として単体で新陳代謝を繰り返しながら永久に生き続けていくという道も選べたはずだが、
何故にこうやって「多数の個体」に別れたか。
それは、今回のような地球規模の異変を想定していたからだ。
個体だとすぐに終わってしまうからだ。
多数に別れたのは、その状況に対応して進化し、種の生命を持続させるためなのだ。
個々の不連続が全体の連続を支える。
つまり、我々は「永久に死なない」(中嶋らもエッセイ『人は死ぬとどうなるか』より)
そう、普段の我々は個人個人別ものだと感じているけど、
上に書いたように、実は肉体レベルでも「ひとつ」だ。
動物も、植物も、虫も、ウジ虫も、細胞も、ウイルスも、
全部でひとつ、「地球」だ。
今は、そりゃマスクをして、2メートル離れて接しなくてはいけないけど、
必ずいつか、いや、できることなら近いうちに、みんなが気兼ねなく手をつなぎ、ハグし、抱き合い、歌い、酒を酌み交わせる、そんな時が来る。
いや、もうみんな気づいたはずだぜ。
ジョンや清志郎が言った精神論での「世界はひとつ」と同様に、身体もひとつ、
自分自身が地球なんだってことに。
本当の世界平和。
きれいごと上等!
最底辺弱小芸術家