両手の中間に

在るものは”杖”。


それを引き争うことから

争闘、争論、争議などの意となる。

(白川静著 『字通』より引用)



「争」




わたしは人混みが苦手だ。
(たぶん得意だ。と言う人はほぼいないが)


この土曜日のこと

大好き友だちが
神戸にいるため

訪ねるのに向かっていると

乗換駅の大阪駅前の雑踏で
配られていた
号外を
反射的に手にした。





差し出されることも
また
目にすることも

もちろん
突然だから
驚くし


何せ
全身の鳥肌が

なかなか止まなかった。


号外の見出しは(当然)大きい。


一瞬にして

「もしここで…」

即、感じ取った訳だ。
(目から脳から身体への伝達が速い!)




シリアや
アラブ諸国でも同じように

繰り返されている惨劇。


多くの命
テロで失われている。

フランスでの
この出来事だけでは

計り得ない。




人の命に分け隔ては無い。
は、当たり前。



譲り合えない杖。



互いに引っぱり合い
相手を引き摺り倒すところまで
やり合うのであろう。


そのとき
容赦なく周りの者まで
巻き込まれてしまう。


その杖が

魔法の杖だとして

ならば
いっそのこと

杖の持つ魔力で

消えてしまえばいいのに。 


と、

儚い希望で有れど


わたしは切に思う。




そして同時に


このような有事だったり

火災や
自然災害などの

緊急事態に


如何にして
自分で自分の身を守れるか?


号外の中身(文章)は
事の要点だけだから

読みながら

今、此処で…の

そればかりを
想像していた

神戸への車内だった。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹