人の可能性。
わたしは
あまり
こんな解釈方法は
好みではないけれど
人偏に可で
“人の可能性”
何に
時を付けたら
何時(いつ)
処を付けたら
何処(どこ)
いつも
どんな視点で
どこをみてる?
「何」
∞∞∞∞∞∞∞∞
ここのところ
時に
胸がざわざわと
ざわめきを
隠しきれません。
なので、
思いの丈を
えい!って
blogなりfacebookになり
書こうと
タラタラと
したためると
読み返して
何だ!この情けなさは!!
って思ってしまうほど
ひねくれていて
かつ
何にも成らないことばかり
羅列してまして…(;´_ゝ`)
一体、
何をみてる?
何処をみてる?
と、改めて
自分に問いかけてみたわけです。
見るとこ
(フォーカス点)
間違えたら
誰がみても
エエエエエーーーっ?
あーもったいない
って感じに
なりますよ(苦笑)
∞∞∞∞∞∞∞∞
人には
無限の
可能性があると思います。
細かく言うと
人の人生のうちに
“タイミング”をもって
その無限である可能性は
チャンスと化して
めぐってくるのだろうなぁと。
だから
何処をみてる?
何をみてる?
と、自分に問いかけてみたわけです。
あーー
メンドクサイわたし(苦笑)
そして
何がどうなったのか?
facebookの過去のプロフィール写真
遡って見ていたら
知らん間に
前のものに
変更してしまって
おりましたー(苦笑)
↓まあ、このときの素顔は
うじうじしていなくて
堂々として
さらに
イキイキしていたかも?
と、思います。
自信を持てよ!ってこと。
焦るなよ。
だと思いました。
でも今のわたしが
キライなわけでは
ありません。
しばらくはこれでいこうかな。
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
2年前の夏の素っぴんなわたし。