第1章の3
視界がぼんやりと開ける。
そうやって見えたのは……僕の顔をじっと見つめる辺塚先輩の顔。
なんだ……? これは幻覚? それとも天国にでも来てしまったんだろうか。
だって有り得ない。辺塚先輩の瞳に僕がこんなにもしっかりと映っているだなんて。
「……起きたか?」
その声にはっとなる。これは現実。そうだ僕は辺塚先輩に泣いているの見られて、そこから意識が遠くなって……。
「……よかった」
辺塚先輩がため息をつくと同時に僕は状況を素早く確認する。
まず僕はあおむけで横になっている。そして視線の先には至近距離に辺塚先輩の顔、そしてその辺塚先輩の綺麗な黒髪が、重力に従って僕の顔にかかるかかからないかくらいの位置に垂れている。そして、僕の後頭部に感じる柔らかい感触は――。
「……そうだ。……申し訳ないのだけれど、この部屋にはソファはあるけれど枕がないので……私の膝で代用させてもらった」
一瞬すべての思考が停止して、事実に気づいて爆発する。
――ひ、ひ、膝枕⁉
「わ、わわわわわわわわ、ご、ごめんなさい! 辺塚先輩にそんな事!」
「……いいからまだ寝ているといい。急に起きるとめまいが起きやすいから」
ダメージから回復したヒーローのようにぴこーんといきなり起き上がろうとしたら、辺塚先輩に頭を抑えられて、また膝枕の姿勢に戻された。
「そ、そのそのっ……い、いいんですか?」
「……いいと言っている」
言われてこの体勢に甘んじる。辺塚先輩の太ももの感触に僕の全神経が集中していた。柔らかい。そして辺塚先輩ってやっぱりすごくいい匂いがする。
夢みたいだ。というかずっと夢見ていた事がいきなり現実になって、なんだかもう僕の人生の運を全部使い果たしちゃったんじゃないかって思ってしまう。
「……どうしたのだ?」
辺塚先輩が首をかしげる。この少し無表情で顔に?マークを浮かべるみたいに首をかしげる辺塚先輩、すごく可愛いなあ……。
「顔が、赤い」
言われて焦る。僕は緊張するとすぐに顔が赤くなるんだ。
「……風邪でもひいているのか?」
辺塚先輩が僕の額に手を当ててきた。
冷たくて気持ちいい。ああ、なんかもう死んでもいいや。
「紅茶を淹れましたよ」
と、テーブルの方から品の良い声。視線を向けると生徒会長の泉天使先輩が紅茶を注いだカップをテーブルに置いていた。
「そろそろ……起きれそうか? ……ゆっくり頭を上げるといい」
辺塚先輩の言葉に、ちょっと名残惜しいけれど僕は膝から体を起こす。
「一緒にお茶でも飲みましょう?」
泉先輩の勧める通りに僕はテーブルの席に着く。
テーブルは長くて幅も広く、左隣に辺塚先輩、右隣りに泉先輩、間に僕と三人並んで座る感じになった。
というか、どんな組み合わせなんだこれは。学内ツートップの美人の間に僕だなんて、めちゃくちゃ場違いだな……。
「まずは……そうね、どちらから話しましょうか?」
泉先輩が困り顔で首をかしげながら、おもむろに言う。
「あなたが何故泣いていたかは……よく考えたら初対面の私たちに話したくはないですよね? 多分、プライベートな事情でしょうし」
言われて焦る。辺塚先輩が聞いているのにその話を掘り起こされたくはない。僕はぶんぶんと首を縦に振り、その話を終わらせようとする。
「それなら聞かない事にします。代わりにあなたの気になっているだろう、私たちの事についてお話ししましょう」
僕はそれも頷く。こんな廃倉庫の中を綺麗にしてくつろいで、この二人は何をやっていたんだろう。
「一言で言うと、ここはゲーム部屋です」
真面目な泉先輩の口から出てくるとは予想だにできなかった言葉『ゲーム』に、一瞬耳を疑う。
「なんというか……最初はそんなつもりはなかったのですよ。友人の辺塚さんと一緒に学校で隠れてこっそりゲームをするようになって以来、この場所を見つけてしまって……ゲーム環境を快適にしようと物をちょくちょく追加しているうちに、こんなことに。果てには小型はありますが冷蔵庫まで運び込んだ時にはさすがに罪悪感がありましたが、心の中で『ああ、もう引き返せない』と楽しくなってしまった私も確実にいてですね……」
「そ、そうなんですか……」
泉先輩は生徒会長としていつも真面目な人だと思ってたけど、実はお茶目な人なんだな。ちょっとお茶目のスケールがでかすぎる気もするけれど。
「別に下校して誰かの部屋ですればよかったのかもしれません。でも、他にもゲーム仲間ができてしまい皆の予定を合わせてわいわいゲームをするにはこの部屋くらいしかないという都合のもとにずるずると……」
「ほ、他にも誰かいるんですか?」
「ええ、あと二人ほどいますが、今日は部活やバイトで来れない日ですね」
なんというか……とんでもない話を聞いてしまった。この二人のイメージからは思い浮かばない、意外すぎるし、大胆すぎる。
「ただ……それも今日でお終い」
辺塚先輩が紅茶に口をつけながらつぶやく。
「さすがに……こうもしっかり見られてしまうと、幕引きだ……この部屋でのゲーム活動は。倉庫のカーテンを閉め忘れた時にも危なかった……幸いにも幽霊話に落ち着いたという事もあったが」
あの幽霊話はこの廃倉庫にいる辺塚先輩を見た時のモノだったのか……。
それよりも、この話の流れは僕の本意でない気がする。
「はあ……そうですね、辺塚さん。完全にばれてしまってはさすがにこの部屋から退去せざるを得ませんね。生徒の規範からはかけ離れた悪戯はもう終わりです。それと、君は一年生の方ですか? この部屋は早急に撤去しますので、今日の事だけは内密にしていただきたいのですが……」
「それは、私からも頼む……」
泉先輩と辺塚先輩が、少しだけ不安の眼差しで見つめてくる。
「そ、それだけは大丈夫です! ぼ、ぼぼ、僕は黙っています!」
これははっきりと言わないと駄目だと思った僕の言葉に、泉先輩が目を丸くした。
「……本当ですか?」
「は、はい! 今回の事は何も見なかったことにします! それとどこにもしゃべりませんので、この部屋を撤去するとかも考えなくていいです!」
もちろんそう言うに決まってる。辺塚先輩の悲しい顔なんて絶対に見たくないからだ。
僕がそう言うと泉先輩の顔がぱっと輝いた。
「わあ……君っていい人なんですね!」
そして隣にいる俺の腕に抱きついてきた。泉先輩の大きな胸がぎゅうと僕の腕に押し付けられている。苺みたいな泉先輩の華やかな香りがふわりと鼻先をかすめた気もした。
というか泉先輩、簡単に抱き付かないでほしいな……! が、頑張れ僕。辺塚先輩の前で他の女の人にドキドキしちゃだめだ。相手が規格外の美人でもだ。
「……ありがとう。感謝する」
僕が抱き付かれた横で、辺塚先輩がふ、と頬を緩ませる。
初めて笑った顔を見た。可愛い。また好きになりそうだった。
「そ、それより、先輩たちはなんのゲームをしていたんですか?」
照れ隠しに聞いてみる。
そうして返ってきた答えは――。
「クラッシュオブクランって……知ってますか?」
~続く~