3度目? | いままでありがとね

いままでありがとね

結婚して22年。
2012年10月4日に子宮体癌で亡くなった最愛の妻の闘病の記録と
今までいっしょに過ごしたかけがえのない時間の記憶を綴っていこうと思います。

昨年娘の勤務先が構内請負事業を廃止するのに伴い、失業した娘。 最初の勤務先は2012年4月、新卒入社で市内の企業に就職しました。 

その年はまあ、色々ありました。 

入社した年の夏前、社長の奥様が病気で他界しました。 

その年のお盆、市内を車で走っていて前の車が停止し娘も止まったのですが2台後ろの車がなぜか止まらずに「ガシャーン」

 すぐ後ろの車はブレーキを掛けて停止していましたが追突された衝撃で娘の車にもぶつかりました。

2台後ろのぶつかってきた車から降りてきたのは娘の勤務先の社長でした。

 お盆の時期に・・・ 

 社長はぼーっとしていたようです。

 奥様の新盆でいろいろ考え事をしていたのだと思います。

 その時妻は病院に最後の入院中でしたがまさか我が家も同じ運命になるとは思いもしませんでした。

妻は2か月後旅立ちました。

 娘は母親が亡くなった後、仕事も頑張っていました。

 翌年の正月4日。

 会社はその翌日から年始の始業のはずでしたが何故か会社に呼び出されました。 

お年玉でも・・・なんて。

私も軽く考えていましたが・・・ 娘が会社から戻ってきて

 「会社・・・つぶれた」 

なんと! 

社会人になって1年もしないうちに会社都合の失業者となりました。

 

1か月ほどして、ラッキーなことに。

会社都合のため 失業給付金はをすぐに給付され、さらに倒産した会社から1か月分のお金がお詫びとして支給されました。

これで当面の生活費は賄えました。

 会社が倒産するまで娘は取引先の会社の工場内で構内請負作業をしていましたが、取引先の会社にとって業務に支障が出るので他の会社にその請負作業業務を委託しました。 

託された会社は構内請負事業のために子会社を作り娘は雇用されました。 

それから6年ほど働いていましたが今度はそのお客の工場が暇になり、外部の企業の請負契約を打ち切ったのです。 

それで娘の勤務先の会社は構内請負事業を廃業、会社は休止することになり昨年6月娘は2度目の会社都合の失業者となりました。

 

 その後はなかなか就職先が決まらなかったのですが今年の1月初めに今の板金加工会社に就職が決まりました。 

それからまもなく、この新型コロナウイルスの影響がその会社にも・・・・・ 

3月には毎週金曜日が一時帰休となり周4日勤務となりました。 

さらに昨日娘が 突然家にやってきて

???

「木曜も休みになっちゃった」

給与も下がるそうですが、このままいくと会社の存続すら危ういようです。 

そうなったら、3度連続会社都合の失業。

 運が悪いのか、なんなんでしょう。 

慰める言葉もなく、いきなり来た娘にせめてご飯だけでもとおなか一杯食べさせて帰しました。

 そういう私も先行き全く読めず

親子そろって漂流するかも・・・

 

明日は妻の7年と8か月目の月命日。

雲の上で心配すると思いますが妻に報告だけしてきます。

 

いつかいいこともあるかもしれないと思うしかないですね。

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