幸せになってはいけない。

そんなことを思っていた昔。


昔のことと思っていたのに、まだわたしの奥底にそれと近いものがあったようです。

昔とは違うけれど、似ているようなものが。



さっき久しぶりに大泣きしました。理由はわかりません。というより言葉にできない感じです。

あるはあるけれど、それが悲しいとか嬉しいとか、そういうものではないという感じでして。

で、泣いているわたしに、

娘がティッシュを1枚とって持ってきてくれました。



びっくりです。


途中大泣きに変わった時に、さらにもう1枚取りに行こうとしてくれて、

1枚じゃなくて箱ごとでお願いしました。



一緒に鼻をかみました。(娘は真似して笑)

泣く時に鼻水が出ることをわかっているようで、鼻にあてて「かまれ〜^_^」みたいなことをしてくれます。



それこそ遠くない昔は、娘の前で泣くことを自分にタブーとしていることがありました。

それでも泣いてしまっていましたが。


でも、いいんだよな。



夫はそんなとき、そっと見守り、落ち着いたらそっと優しい声で言葉少なに声をかけてくれます。


幸せで、そんな幸せを感じる日々を送っているのに、悩んでいるということに対して、悶々として感じていた時に、


『幸せを拡充していってもいいんだよ』

みたいなメッセージをなんとな〜く感じました。



そして、書き始めの、

私は幸せになってはいけないと思っていた頃の自分をふと思い出しました。



幸せになってはいけない。


いつからそう思っていたのだろう。

ただ、離婚した時?とも最初思いましたが、父が亡くなった時からなのかもしれません。

若くして亡くなった父に、いろんな想いを抱えていった父に、

父は想いを叶えられなかったのに、私は幸せになっていいんだろうか、そんな思いからかもしれませんし、


ふと今思ったのは、亡くなる直前、モニターがついている父のそばで、小さいながらに神さまに願った願いを神さまに叶えてもらえなかったから、

幸せになってない姿を、反抗として神さまに見せつけようとしていたのかなぁって。



でもね、いいんだよなって。 反抗して生きるのはやめて、


これは自分の人生なんだよなって(好きに生きたいように生きていいんだよなって)、思った時に、


一歩ずつ、


そのときの自分に、「幸せになっていい」と伝えてきたように思います。


そして、行動して、


今、娘に出逢えているし、夫がそばにいてくれています。


そして、ひとりで好きな場所でご飯食べてます。



少しずつ、少しずつ、これからも、


わたしは、私に、幸せになっていいんだよ、


もっともっと幸せを味わっていいんだよ、


って伝えていこうって、


改めて、そう思いました。





(好きな場所のご飯。↑)








すごいなぁ〜。


人生って。


^^