めずらしくの連投です。笑。(ほんとめずらしい。)

『友』という言葉。そして漢字は、

私にとっては、テーマといいますか、ずっと気になる存在でして、

気にしないようにしていた時期もあるのですが、

やっぱり、自分の名前に入っているこの漢字の存在は、私には大きいのです。



そして、何か親なりの意味を持って付けられたのではと思われるこの漢字が入った名前、(自分で名前を決めてきたという話はここではちょっと置いておいて)

子供ながらに、親を見て(母を見て(聞きたい年の頃には父は亡くなっていたから)、

小学生の頃の宿題に、親に自分の名前の由来を聞いて書いてこようというものがあったのですが、

私は自分で考えて書いて提出しました。漢字の意味合いからこんな感じだろうくらいの感じで。。

最近確認が取れましたが、妹もその宿題、自分で考えて親に聞かずに書いていたそうです。

そして、案の定?母にも聴いたら、あっさりとした感じで意味はない、みたいなことを言ってました。(ほんとのところは分かりません。笑)



それでですね、

『友』なんですけれど、

私にとっては、他を意識した『友』だったんです。

だから、ずっと、少ないとか多いとか、いるとか、いないとか、

そもそも親友ってなにさとか、


もう、そう考えている時のモヤモヤした感じだったこと、

このうえなく、

世間一般の常識とか、私のプライドとか、名前には使命があるとかないとか、もうなんかよく分からないもので、頭の中をぐるぐるさせてきた気がしますが、



「今」の私には、この言葉がしっくりきます。

一緒に歩いてきた

どんな時も

そしてこの瞬間も

これからもずっと友として


なので、手帳に、掛け軸のようにして、自分が感じた自分の言葉を自分の文字で書いて、貼ってみました。


私の『友』は、私であり、わたしなのだと。




ずっと一緒にいてくれて、ありがとう。私。