自分の身体やこころを感じるフォーカシングや瞑想をするようになり、

以前より自分の感覚を意識する機会が多くなったように思います。
 

あくまで私個人の感覚ですが、

嫌だという感覚は、胸が(体の中心に向かって)キューっと苦しくなるような感覚で、ぐっと力が入る感じ、

恐いは、胸のあたりがさわさわする、落ち着かないという感じ。



そして、

嫌だという感覚からは、「やりたくな〜い!」というメッセージ、

恐いという感覚からは、「(恐いけど)やってみた〜い!」というメッセージ、


を私個人的には今感じています。

(人によって感じ方もいろいろあると思いますし、その人その人によってどう感じて、どう捉えるかはその方その方それぞれだと思います。)



今までは、どちらも頭で考えた上で、

嫌だに対しては、「嫌でもやらなきゃ」「やったら好きになるかも」

恐いに対しては、「無理にせんでも」「やめておこう(ケガする)」

みたいな感じで自分に返答して、行動していたように思います。



現在でも今までのクセで、やりたいという気持ちを感じているのに思い止まろうとする自分に思考を使ってもっていこうとしていたり、

嫌ならやめとこうとすぐには自分に言えない自分に気づくのですが、



気づくようになってきたから、

意識するようになってきたから、

不快な感覚だけがよく分からないけどまとわりついたままな感じが減りました。



そして、自分の「やりたくな〜い!」「やってみた〜い!」に出来る範囲で応えてあげたいと思っています。

今日も、恐いけどやってみたい、聞いてみたいと、自分のメッセージにひとつ応えてあげました。 

勇気はいったけど、モヤモヤした感じが残らなかった。勇気出してよかったと。

応えようとトライした自分に心の中でグッジョブと言ってました。



この積み重ねをできる範囲でこれからも続けていこうと思います。



昨日は、嫌だと恐いを両方感じていたので、どちらにも自分なりに応えてあげていたら、

つらかった状況(自分が作り上げていた部分も昨日はあったのですが、そんな自分に対しても優しくなれて)が、

最後には、この世界は優しいなって、今までと相手の反応が違う♪と嬉しくなって笑い(にこにこ)がこみ上げてきて、こころと身体がふわっと軽くなった感じがしましたニコニコ





これまでにも同じような感覚はあったのに、

2つの身体に感じる感覚や感情の違いを、不快なものとして同じようなものとして一色単に捉えていたり(それが良いとか悪いとかではなく)、

今私の中にこんな感覚があるなと、外から自分を俯瞰してみる余裕がなく、不快の、ど真ん中にいてただただ苦しかったりして、

 ひとつひとつがどういうメッセージを伝えているのかなんて考えたことがなかったなぁ〜と。



ひとつひとつ、出来る範囲で、したい時に、

自分を感じて、みつめる、そして応えてみる、

という作業を、

大切な自分にしていこうと思う今日この頃のブログでした。グラサン