3年前の今日に書いたブログ記事↓。たまたまさっき書いた文章と内容がリンクするように感じて載せてみました。
そして、私が先ほど書いていた文章。↓
自分だけが見るために書こう(自分の気持ちを整理しよう)としたものだけれど、載せてみようと思います。
あくまで個人的な思いを綴ったものです。
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わたしは聴いていて嫌な気持ちになったよ。
笑えない。笑けてくる気持ちが分からない。
私は人のことを心配し過ぎなのかもしれない。
でも、その当人だけじゃなく、周りにいる方々、そのさらに周りにいる方々にとったら、ケラケラ笑える話じゃないって思った。
それが宇宙の采配で、すべてはきっと良きことだとしても。
笑えない。
私は人のことを、そして私自身のことも心配してきた
。
だから、何かただならねと感じることを聴いたり、感じたりしたら、ほっておけなくなる。
そしてどのような対応をしたとしても、自分の関わりはこれでよかったのだろうかと毎回のように悩む。
心配する必要がないと分かった今も、こころは動くし反応する。
それをやめないと、心配を呼ぶのか?心配事をつくるのか?相手を心配な人にしてしまうのか?
いや違う。
ただ反応するだけだ。
そしてそれが私なのだ。
そう思いたい。
そう信じたい。
悲しさを感じてもいい。
寄り添ったっていい。
心配したっていいじゃないか。
想いと行動の強さで、時にバランスを崩してしまうときがあるから、今まで何度も何度も、悲しいや切ないと思うことがあったけれど、
いいじゃないか。
これまでの自分、その瞬間の自分を否定したくない。
大切にしたい。
いいじゃない。
分かってくれるひとがいなくても。
私がわたしに寄り添いたい。
そばにいたい。
正しさや受け取り方や、感じ方は人それぞれ。
だからこそ、わたしは私をそのままで包み込みたい。
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信じるということ。
信じていたら、心配はいらないのかもしれない。
でも心配したい気持ちも、自分が身体やこころに感じた感覚も、
ただただそのままを信じたい。
大切にしたい。
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ここまで書いてきて感じた。
心配しているのではないのだ。
ただただ揺れ動く感覚を信じたいと思ったのだ。
無きものにしたくなかったのだ。
私はすべてを信じているし、すべてを愛しているのだと。
なんか恥ずかしいけれど、
ここに残しておこう。(でも消したくなったら消そう笑。)