最近、ここでの投稿の感じが変わってきた感じがする方もいるかもしれません。

わたし自身、伝えベタな所があり、自分の備忘録のようになっている所もありましたが、

時折、言葉だけを並べて書いているのは、

自分が自分と繋がって、なんとなく浮かんだり、感じたりした言葉を、

そのまま打っていくみたいなことをした時のものです。(前回の投稿もそう。)




自分の声を聴くということを意識し出してから、7年くらいでしょうか。


最初は、自分の声を聴くということ自体、

こわい感じがして、

踏み込めなかったり、

やたら難しいものだと決め込んでいたような気がします。



ゲシュタルト療法や、フォーカシング、マインドフルネス、ハコミセラピーなどなど、

いろんなものを体験したり、学んだりしてきた時間は、


ずーっと、人の目や家族のことに意識が向いていた私には、

とっても大事な時間で、

今、私が生きていく中でも、とっても大事なものとなっています。




何か、モヤモヤしたり、苦しくなるようなことが起きた時に、

ほんとはどう感じているのか、ほんとはどうしたいのか、わたしに対する自分から自分へのメッセージとかを、

向き合いたいと思う時に(無理強いは自分にもしません。笑)、意識したい時に、

感じる時間を持つようになってから、


それらを尊重できるように、


行動するようにも、少しずつなってきたからか、



いろいろある時は、今もあるけれど、

すごく楽になっている自分がいる感じがします。





私がフォーカシングセラピーを(最初は自分がしていいのだろうかと思いながらも)ここち鳥で始めたのも、


自分がずいぶんと楽になれたという感覚があったから。






四六時中、頭を使って考え、頭がパンクするんじゃないかというくらい、どうしたらいいかを考えていた私

その時の自分も否定したくないし、大事な私だけれど、


心や体や深い部分にも繋がる意識を持つことで、

頭だけで考えなくてよくなったから、

すごく以前と違う感じがするんですよね。






そして、私の体感としては、自分を感じることは、

安心ができて、

シンプルなことなのだということ。




ただただ、意識を向けるという練習が必要なだけ。


でも、「練習」という言葉が嫌い・苦手で、

書いているだけでも、嫌だー!って今もなるので、

実際、練習が必要だとか言われた時に、

やっぱり無理だわ!とか、自分に意識を向けることができるのは遠い先のことのように思って苦しくなったりしてたけれど、



ゆっくり、ゆっくり、一歩、一歩、


その時の自分に向き合ってきてよかったなぁと思います。(しつこいけれど向き合いたい時に。)






ありがとう。わたし。


ありがとう。みなさん。





唐突ですが、やっぱり、ありがとうを伝えたく。



ではでは、また