私ごとを備忘録としてここに残したいと思います。

コロナで自粛中、感じていたことの中のひとつです。

それは、娘が、自分にきょうだいができないの?と言う言葉、いつうちに赤ちゃんがくるの?と言われていたことに対してです。

なんとも言えない気持ちでぐるぐるしていました。


私の年齢やさまざまなことで、2人目のことは悩みながらも、娘1人を育てることができる今を大切にしたいと思っていた中でのことでした。

でも、どこか私の中にも、娘と同じ気持ちがあったのかもしれません。



娘に逢えたことも、私にとって奇跡のような出来事であり、それを忘れたわけではないのに、

現実のいろいろを、そして起きていない未知の未来のことを考え、モヤモヤする自分が、嫌だと感じることもありました。



何か良い言葉がけはないだろうかと、いろいろ考えたり、試行錯誤しながら、娘と話をしたりしたけれど、娘はただただ前向きに信じているという様子でした。




そんな中、ふと娘がお腹にいた時や、産まれてきてからしばらくしていた、胎話をしてみようと思いました。


言い方はなんであれ、相手から感じると思うものを感じるというワークみたいなものです。

(胎児との会話だから胎話。今は胎児ではないけれど、生まれてきてくれた後も実際の会話の他に、胎話はできるということだったので。)

まぁ、本当に娘がどう思っているのかどうかなんて、分かりません。

分からないけれど、してみたいと思って、

娘を感じるということをしたくて、夫と一緒にもお腹にいる娘と胎話して、それぞれが受け取ったことをシェアしていたことを思い出します。




今回、寝ていた娘の身体に触れ、自分が感じていることを話し(心の中で相手に)、感じるということをしました。

久しぶりでしたが、娘からの言葉を感じました。

「お母さんが思うようにしたらいい。私はこう思うけど。
お母さん、私を信じて。(細かいところは端折りました)」


というものでした。



それを受け取って、娘から感じた言葉を心に感じた時に、気持ちが楽になりました。  



再度言いますが、本当かどうかなんて分かりません。

自分を安心させたくて、そう感じたのかもしれません。

でも、同じことで悩むことがなくなりました。


 

ただただ、自分が感じたことを言葉を信じる。

受け取る。



それは、自分の心や身体の声に耳を傾けていくフォーカシングの中の作業と一緒です。

頭でどれだけ考えたことよりも、

自分が感じたことを信じるって、府に落ちる感覚がするんですよね。





人間、生きていたら、頭で考えることだっていっぱいあるし、心がいっぱいいっぱいに感じることだってあります。


でもそれはそれで良くて、

それが、いいも悪いもなくて。



でも、時々、

無理にではなく、気持ちが向いた時に、

「感じる」ということを取り入れていけたら、 



自分を(自分が感じたことを)信じることが増えて、

自分を生きる歩みができるのではないかと感じました。






そのきっかけのひとつの場に、ここち鳥がなれたらいいなと改めて思いました。


そして、これは、私のためにもやっぱり必要なことだなぁと。


心が安心すること、その感じを、あなたに感じてもらえたら、嬉しく思います。



そして、私もその都度自分に問いかけをしながら、
自分との対話の時間を大切にしていきます。


時に気が向かなくても、人間だから、無理なく^^




やすらぎサロン

ここち鳥